文藝評論家=山崎行太郎の『 毒蛇山荘日記(1)』

文藝評論家=山崎行太郎の政治ブログ『毒蛇山荘日記1(1) 』です。

JR西の「西労」は、「核マル」系労組だったのか?なるほど。

 今度のJR西の列車脱線転覆事故後の報道で奇妙に感じたのは、JR当局だけではなく、労組の情報戦が活発だったことだ。むろんそれは過去形ではなく現在も続いているが…。たとえば、高見運転手の事故責任が明白であり、重大であるにもかかわらず、JR西の「日勤教育」という過酷な社員管理体制が事故の直接の引き金であったかのような報道が、マスコミで一時的に主流になり、記者達がJ西の幹部達を吊るし上げるという場面が頻繁に映像として流されたわけだが、その情報戦をマスコミ対策として組織的に仕掛けたのがJR西の「西労」という組織だったらしい。しかもこの「西労」という組織は、かつての国労動労といったいわゆる国鉄時代にその名を轟かせた労働運動の流れを受け継ぐ過激な組織らしいのだ。JR西には、「西労」に対抗して「西労組」という組織もあるらしいが、どちらかというと最近はこちらの方が多数派で、かつ穏健派のようだ。むろん、今回の事故後の情報戦で活発な動きをしているのは「西労」の方であるようだ。高見運転手もこのグループの一員だったのだろうか。僕は、労働運動の組織地図やその興亡の歴史には興味ないし、その内情にはまったく無知だが、核マルとか動労というようなの問題なら少しは知っている。早大文学部を拠点にした「核マル派」と言えば、法政大学を拠点にした「中核派」とともに「核マル/中核・内ゲバ戦争」を展開した兄弟組織である。一種の玉砕戦法で過激ではあったがまたたくまに組織としては解体して行った赤軍派連合赤軍などの自爆的な過激派組織と違って、組織温存を優先して、「長く、しぶとく」…学生運動や労働運動を展開してきたグループである。むろん、組織温存優先だからと言って穏健派だというわけではない。結局、学生運動組織としては今は、核マルだけが生き延びていると言う人もいるが、その思想的なリーダーは黒田寛一で、「クロカン」と呼ばれていた。府中駅前にあった「黒田病院」という肺病専門の大きな病院の息子で、盲目になりながらも膨大な著述活動を続けていた。いまだに伝説的な人物である。ところで、「西労」は、この組織と無縁ではないらしい。彼らの情報戦が普通でない理由が、それから説明がつく。なるほど、そうだったのか、というわけだ。

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