文藝評論家=山崎行太郎の『 毒蛇山荘日記(1)』

文藝評論家=山崎行太郎の政治ブログ『毒蛇山荘日記1(1) 』です。

■保守論壇は、なぜ、かくも幼稚になったのか?

 西尾幹二が「保守論壇はレベルが下がった」と言っているという話を、宮崎正弘氏のメルマガで読んだ。そうか西尾さんもそう思っているのか、と妙に納得した。実は、僕も最近、保守論壇の低俗化・通俗化に愛想をつかし、ほとんど保守論壇に興味を失いつつあったからだ。
 そこで早速、西尾さんの新刊の『男子、一生の問題』(三笠書房)を読んでみた。保守論壇に関する西尾さんの分析は鋭い。かねがね僕も感じていたことだ。
 たとえば、最近の保守論壇は威勢がいい。しかし、これも西尾さんによると、その威勢の良さに問題があると言う。威勢のいい保守論壇的言説そのものがインチキなのである。つまり、その威勢の良さは、いわゆる保守系論壇雑誌編集部の公認した範囲での威勢の良さであって、仲間全員が容認するレベルでの威勢のよさにすぎない。たとえば「朝日新聞批判」「北朝鮮金正日批判」・……。すべて保守論壇公認のステレオタイプである。筆者自身を保守論壇内部で孤立させたり危機に陥らせるような危険な内容は一つも含んでいない。言葉だけが過激で思想は安全そのものだ。
 西尾さんは、保守論壇はもともと「群れをなす」ことを潔しとしないところだったと言っている。まったく正しい。「群れをなす」のは左翼の専売特許だった。僕などが小林秀雄三島由紀夫福田恒存江藤淳などの言論に惹かれたのは、彼らの言論がまさに孤軍奮闘、孤立無縁の言論だったからだ。
 だが、最近の保守系雑誌を埋めている原稿の多くは付和雷同した集団的な「元・左翼的言論」ばかりだ。僕は、「正論」も「諸君!」も最近は目次を確認するために立ち読みするだけだ。
 ところで西尾幹二らと喧嘩別れした小林よしのりが、さかんに「2ちゃんねる」的言論を批判・罵倒しているのを読んだ。気の毒だが、「天に唾する」ようなものだろう。そもそも、小林よしのりという漫画家が「論壇人」として認められるようになったのも、元はと言えば当時の論壇の硬直性を打破する「2ちゃんねる」的(漫画的?)言論が認められたからではなかったのか。
 いつから、小林は「2ちゃんねる」的言論を「便所の落書き」などと批判できるように「偉く」なったのか。いまだに、小林の漫画(ゴーマニズム宣言)は便所の落書きそのものではないのか。
 むろん、僕は「便所の落書き」でしかなかった頃の小林の漫画を否定するつもりはない。