文藝評論家=山崎行太郎の『 毒蛇山荘日記(1)』

文藝評論家=山崎行太郎の政治ブログ『毒蛇山荘日記1(1) 』です。

江藤淳の『一九四六年憲法ーその拘束』を、昨日、「朝日カルチャーセンター(小説教室)」の帰りに、立川のオリオン書房で買った。驚いたのは解説を、白井聰が書いていることだった。文春文庫の編集方針に、違和感を感じる。

dokuhebiniki2015-04-21


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白井聰が、江藤淳とは「政治思想的位置」が、対極にあることは明らかだろう。白井聰は典型的な左翼の政治学者である。何故だろう。もちろん、解説の内容は好意的だが、そもそも白井聰が、「江藤淳」という保守思想家を尊敬、畏怖しているとは思えない。


小谷野敦も、最近、『江藤淳大江健三郎』という駄本を、出版したようだが、この本も、小谷野敦という無能評論家の書いた下世話的な駄本らしく、「江藤淳批判」一色の本らしい。「江藤淳論」は難しい、と私は思う。絶賛するにせよ批判罵倒するにせよ、「江藤淳論」の書き手の側の思想的レベルを、逆に証明することになるからだ。


たとえば、小谷野敦が、「江藤淳」や「小林秀雄」を批判・罵倒することは自由だが、それを見て、読者は、小谷野ってやっぱり無知無能な三流評論家なんだなー、と判断するだけだろう。江藤淳の文章は、読みやすくて、その内容も理解しやすい。それ故に、逆に「江藤淳論」を書くことは難しい。


多くの読者は、江藤淳の思想的な「深さ」と「恐ろしさ」に気付かないからだ。小谷野敦が、「江藤淳はバカだった」と書くことは、小谷野敦が、「江藤淳を理解できていない」ということも意味するからだ。というわけでも、今までのところ、私は、柄谷行人の書く「江藤淳論」しか認めない。


「文藝春秋」と言えば、江藤淳が亡くなった時、「文学界」が「江藤淳追悼特集号」を出したが、その追悼号に 、櫻井よしこ西部邁が執筆していて、追悼号とは思えない、かなり辛辣な「江藤淳批判」の追悼文を書いていた。あれも、文藝春秋の編集方針の変化・変貌の予告だったのかもしれない。「江藤淳的保守」から「櫻井よしこ=西部邁的保守」へ。



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