文藝評論家=山崎行太郎の『 毒蛇山荘日記(1)』

文藝評論家=山崎行太郎の政治ブログ『毒蛇山荘日記1(1) 』です。

柄谷行人とポスト・モダン。

柄谷行人について書いていると、「柄谷チルドレン」とでも言うべき若い「同伴者」、あるいは「エピゴーネン」たちが、浮かび上がってくるが、僕は、そいう人物たちにほとんど興味がない。たとえば、浅田彰三浦雅士から東浩紀や高沢秀次、大沢•・・などまで。何故、興味がないのか?柄谷行人と彼等とは、何かが決定的に異なるからだ。では、何が異なるのか?「小保方晴子論」にもつながる問題のようだ。「科学」と「科学主義」との差異、「存在」と「存在者」の差異、「マルクス」と「マルクス主義」との差異・・・という問題だと言っていい。


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ベトナムコーヒーを飲みながらーーー昨日は、滞っていた原稿が完成、一段落。ホッとして、某所のサンマルクカフェで、ベトナムコーヒーを飲みながら読書。講談社学術文庫の「ハイデガー」を読む。そして近くの居酒屋へ。ビールを飲みながら、さらにハイデガーを読み続ける。
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ハイデガーは、技術的、通常科学的思考を激しく憎んでいたようだ。そして、日常生活には役に立たないが、存在にふれる純粋な思考を求めていたようだ。僕の言葉で言えば「科学主義的思考」ではなく、「科学的思考」を追究したようだ。



「小保方博士バッシング報道事件」で、先頭にたって活躍した女性たち?

古田彩 須田桃子 ⚫▲◼★➡子 大隅典子・・・。



彼女たちは、自称「科学者」だが、「科学」と「科学主義」の区別、「合理性」と「合理主義」の区別が出来ていない。単純素朴な「科学主義的」な近代合理主義の信奉者たち。論破されると、警察か裁判所に逃げ込む。ナチスもスターリ二ズムも、この素朴な近代合理主義が齎した。


僕は、「存在論」という言葉もハイデガーという哲学者についても、松本正夫という中世哲学学者から学んだ。学生時代。当時は、何も理解できなかった。だが、最近、わかってきた。「がある存在」と「である存在」の差異。ここが分かれば、ハイデガーもトーマス・クーンも分かる。


松本正夫は、慶應義塾大学哲学のスター教授だった。しかし、一般的には、誰も知らなかった。そこが、また秘密めいていて、良かった。慶應出身のアラビア哲学者・井筒俊彦が売れているらしい。全集がでて、各所でシンポジウムが頻繁に開かれているようだ。しかし、小生に言わせれば、松本正夫に比べれば、思想の質もレベルも異なるだろう。


「松本正夫とハイデガー」。だれも言わないから、僕が言うしかない。僕は、松本正夫から、アリストテリコ・トミスムの存在論ハイデガー存在論を、ごくごく少人数で、学んだ。そのことに言いようのない誇りを感じる。「存在論の諸問題」「『存在の論理学』研究」。いずれも岩波書店から刊行されていた。


僕の「イデオロギーから存在論へ」というテーゼは、松本正夫の受け売りだ。つまり、「である存在」から「がある存在」へ、ということだ。


「である存在」と「がある存在」の差異。松本正夫教授が、何回も何回も繰り返した、この言葉が、今、僕の脳裏に蘇ってくる。松本正夫教授はカトリックだった。僕は、カトリックにもキリスト教にも興味はなかったが、松本正夫の存在論には興味があった。




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