文藝評論家=山崎行太郎の『 毒蛇山荘日記(1)』

文藝評論家=山崎行太郎の政治ブログ『毒蛇山荘日記1(1) 』です。

いかなる先端科学も、凡庸な科学者集団によって、「科学主義化」され、誰にも分かるような「一般常識」と化す。人は、その凡庸な常識と化した知識を、科学と呼んでいるにすぎない。そこで登場するのが「研究倫理」や「実験ノート」の類だろう。無論、「研究倫理」や「実験ノート」が第一義的に重要なのではなく、あくまでも研究や実験そのものが重要なのである。「研究倫理」や「実験ノート」は、科学的真理の探究という目的(理想)に到達するための手段や方法に過ぎない。しかし、自らは研究も実験も行わない凡庸なエセ科学者集団にとっては、研究


人気ブログランキングへ


(久米氏のコメントより)


山崎先生

今朝、今日5月10日付中日新聞第四面「考える広場」の特集記事を読んでみて、あまりにひどく姑息な「小保方晴子博士バッシング」記事だったので、その概要をまとめてみました。


『新聞の見出しや写真と内容との乖離にご注意!』


まず結論から言えば、紙面の一番目につくところにあるタイトルやコラージュ写真、囲い込み欄だけを読むと、まるで小保方晴子博士が犯罪者か詐欺師であるかのような書き方だが、記事の中味はまったく別物だ。


 新聞の一面に「今日の紙面」という欄があって、そこに「虚と実の間 何があった」という見出し、その下に「不祥事が明らかになった佐村河内守さんと小保方晴子さん。多くの人を感動させた2人だったが…」とある。


 佐村河内守氏についてはよく知らないが、小保方晴子博士の「不祥事が明らかになった」って、いったいどういうことだよ、ホントかよ、というわけで第四面を開いて「考える広場」の特集記事を見る。


 第四面の「考える広場」という紙面は、作曲家、心理学者、マジシャンの三人から話を聞いてその各々をまとめる、という構成。ちなみにこの第四面の一番上に「虚と実のあいだ」というタイトル、そのすぐ下にコラージュ写真があり、右上に「作曲家佐村河内守さんと理化学研究所小保方晴子の不祥事」うんぬんという囲い込み欄、左下にその補足説明の囲い込み欄がある。


 もちろんこの第四面をめいっぱい使った(ただし紙面の下のほう四分の一は広告)特集記事の中心は、三人からの聞き取りをもとにした談話だ。


 この記事の中心である談話でも、さぞ小保方博士らが批判されているのだろうと思いきや、ぜんぜん批判ではない。三人中、二人の話は、少なくとも小保方博士については批判していない。逆である。


「テレビ、舞台は心が写るレントゲン」といつも弟子たちに言っているという、マジシャンのマギー司郎氏は、「小保方さんはうそを言っているようには見えなかった。」と語っている。「感覚や勘を大切に」している氏の判断である。(なお、この「感覚や勘を大切に」というのがこのマギー氏の談話の題目である。)


心理学者の河合俊雄氏は、次にように語っている。その微妙な言い回しに注意したい。


「そう考えると、小保方さんも、作曲者偽装問題の佐村河内守さんも、私たちをだました形になっていますが、本当に彼らだけがだましたのか。(中略)どうやって「だまし」が成立したのか。後ろに何かがあると感じます。」


なお、河合氏の談話のタイトルは、「オリジナル 難しい」であり、その中心テーマは、「オリジナリティー」、「自分と他者、社会との境界」、「個の確立」といった(社会)心理学的な話で、「個の確立が必要ですが、それは夏目漱石でさえ無理でした。」といった話は興味深い。この談話は全体として、婉曲的に小保方博士を擁護している、と読める。


最後に、作曲家、指揮者の伊東乾という人の談話、そのタイトルは、「自前の判断基準を」というものだ。この人の談話は紙面の右側、つまり電車とかで片手で、新聞を折って読んでも読みやすいところに掲載されている。批判らしい批判はこの人だけだといっていい。しかし、よく読むと、小保方博士批判ははじめだけで、あとは、どこにでもある一般論を無理やり「スキャンダル」に結びつけたような話。


伊東氏は、東大理学部、同大学院で物理を専攻、とのことで「科学的センスのある音楽家」といったところか。佐村河内氏と小保方氏の共通点を「素人」だったことでしょう、と言って語り始める。


そして続けて、「入り口にさえ立っていない二人が、業界人なら恥ずかしくてできない振る舞いをして世間を騒がせた」と語る。


まずこの伊東という人は、先日「謝罪」した山中伸弥・京大教授の実験データ疑惑、最近画像のコピペを指摘されて、理研の調査委員長を「辞任」した石井俊輔上席研究員のこと、新たに疑義が指摘されている大勢の理研内外の研究者らのことを、「失念」しているのだろう。でなければ、「素人」だの「はずかしい振る舞い」などとは言えないだろう。


ちなみに、この伊東氏の談話の結びはこうなっている。


「私が言いたいのは、「人の言うことをそのまま信じるのはやめよう」という、人間としての基本事項。おのおのが必要な範囲で判断基準を持ち、納得いくまで考え続ける社会に変わっていくべきだと思います。」


まったくそのとおり!異論はない。


この記事のように、見出しとその内容がひどく乖離している記事を、特集記事にしてしまうマスメディアを「そのまま信じるのはやめよう」。伊東氏の言うとおり、「話題やスキャンダルばかりを重視するメディアの責任も大きい。」


それにしても、よくこれだけ、こじつけの特集を組めたものだと思う。驚きだ。おそらく「佐村河内氏と小保方氏の「不祥事」にからめてお話をお願いします」と記者に頼まれてのことだったのだろうが、そうしたやんわりとした圧力のなか、マギー氏は素直に、河合氏は婉曲的に、思うところを、つまり小保方博士は白である、ということを語っている。


繰り返しになるが、マギー氏と河合氏は小保方博士を批判していない。マギー氏は弁護している。河合氏は、婉曲に弁護しているように読める。「ルール」「科学者の倫理」「STAP細胞が存在するか否か以前の問題」といったマスコミで散々言い古された批判を展開する伊東氏には、「自前の判断基準を」もて、といいたいが、とりあえず氏のその他批判の矛先は、「税金で命脈を保つ」(研究)組織、およびマスコミ、だまされる大衆。


新聞や雑誌の見出しにだまされてはいけない。この特集記事のように、内容が見出しやタイトル、写真とはぜんぜん違うこともある。


人気ブログランキングへにほんブログ村 政治ブロへ (続きは、『思想家・山崎行太郎のすべて』が分かる!!!有料メールマガジン『週刊・山崎行太郎』(月500円)でお読みください。登録はコチラから→http://www.mag2.com/m/0001151310.html




━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

曽野綾子よ、反論出来るなら反論してみよ!!!
いつでも、受けて立つ覚悟は出来ている!!!
それとも、嵐が過ぎ去るのを待つつもりか?
(山崎行太郎)

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
曽野綾子が、沖縄集団自決問題を論じた『ある神話の背景』は、全面的に、赤松部隊の制作した「陣中日誌」に依存している。だが、この「陣中日誌」は、1970年に、赤松部隊隊員=谷本小次郎によって、全面的に書き換えられた、歴史的資料価値ゼロの「改竄=捏造文書」であった。とすれば、大江健三郎を訴えた「大江・岩波裁判」の根拠となった曽野の『ある神話の背景』も、「改竄=捏造文書」だということになる。しかも、曽野が、赤松部隊の共同謀議の場所に参加している「証拠写真(下)」まで残されている。曽野綾子は、曽野の改竄=捏造、共同謀議参加・・・を告発した『曽野綾子大批判』に答えるべきだろう。それとも、無視し、この問題から逃げるのか? 逃げるとすれば、曽野綾子は、「文学者失格」ではないのか?
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━


★ Amazonの★ 『曽野綾子大批判』が再び在庫不足。が、ここで新品が・・・。『曽野綾子大批判』のお求めは★Amazon★ で。 ここをクリック★



曽野綾子が赤松嘉次や赤松部隊のメンバーと謀議を凝らしている写真は、これ。




人気ブログランキングへ



■『曽野綾子大批判』を読んだら、『保守論壇亡国論』もお読みください。発売中!!!
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4906674526?ie=UTF8&at=&force-full-site=1&lc



人気ブログランキングへ



人気ブログランキングへにほんブログ村 政治ブロへ (続きは、『思想家・山崎行太郎のすべて』が分かる!!!有料メールマガジン『週刊・山崎行太郎』(月500円)でお読みください。登録はコチラから→http://www.mag2.com/m/0001151310.html