文藝評論家=山崎行太郎の『 毒蛇山荘日記(1)』

文藝評論家=山崎行太郎の政治ブログ『毒蛇山荘日記1(1) 』です。

曾野綾子は、集団自決を記録した沖縄住民側の三つの文献資料(沖縄タイムス社刊『沖縄戦記・鉄の暴風』、渡嘉敷島遺族会編纂『慶良間列島・渡嘉敷島の戦闘概要』、渡嘉敷村、座間味村共編『渡嘉敷島における戦争の様相』 )を、『鉄の暴風』その他の資料は「米軍上陸の日」を間違って記録しているから 、「書き写し」、「資料的価値なし 」というが、当時は、みんな間違って記憶(3/26)していたのである。間違っていない方がおかしいのだ。米軍側資料が明らかになって、初めて正確な「米軍上陸の日」は確定(3/27)したのである。曾野綾


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米軍が渡嘉敷島に上陸した日はいつか? 曽野綾子は、『ある神話の背景』の中で、沖縄住民側の三つの文献資料(沖縄タイムス社刊『沖縄戦記・鉄の暴風』、渡嘉敷島遺族会編纂『慶良間列島渡嘉敷島の戦闘概要』、渡嘉敷村座間味村共編『渡嘉敷島における戦争の様相』 )を、「米軍が上陸した日」が、正確には「3/27」であるにもかかわらず、いずれも「3/26 」と間違って記述しているから信用できないと批判し、『鉄の暴風』以外は、『鉄の暴風』の引き写しであって資料的価値はないと言っている。


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・・・「つまり、住民や遺族の証言を全面否定し、逆に赤松部隊側の「陣中日誌」に依拠して、沖縄集団自決事件を説明しようとしている。たとえば、「司法制度改革審議会議事録」でも、こう言っている。
先に述べました資料のうち、1〜3までを丁寧に調べていくと、実に多くの文章上の類似箇所が出てきました。今で言うと盗作です。ということは一つが原本であり、他の資料はそれを調べずに引き写したということになります。それをさらに端的に現しているのは、これほどの惨劇のあった事件発生の日時を、この三つの資料は揃って3月26日と記載しているのですが、戦史によると、それは3月27日であります。人は他の日時は勘違いをすることがありましょうが、親しい人、愛する者の命日を偶然揃って間違えるということはあり得ません。」・・・
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曽野は、「戦史によると・・・」と書いているが、「戦史」が正しいとすれば、何故、正しいのか。実は、曽野の言う「戦史」とは、終戦直後の戦史ではなく、最近の、新しい戦史のことだ。「米軍が上陸した日」が、「3/26」か「3/27」かが明確になったのは、「米軍側戦史」の記録を根拠にして、日本側の「戦史」の記述が、「3/27」と定説化した後である。それ以前は、「米軍が上陸した日」は、曽野が考えるほど厳密に定説かしていたわけではない。

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曽野綾子が、『ある神話の背景』(沖縄集団自決の真実)で全面的に依拠した資料「陣中日誌」は資料的価値ゼロの『改竄=捏造文書』だった。
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何故、沖縄集団自決裁判で、証拠資料として「陣中日誌」の原本「辻版陣中日誌」を提出出来なかったのか。それは、「陣中日誌」が改竄された捏造文書だったからだ。さらに知りたければ『曽野綾子大批判』を読むべし!



曽野綾子は、赤松部隊の人々とは個別に会った、と言っているが、大嘘である。曽野綾子は、赤松部隊の元兵士たちと、集団で、名古屋の旅館で「打ち合わせ」を行っている。謀略の会議だ。曽野綾子の『ある神話の背景』も政治的な謀略文書だ。(証拠写真↓↓↓)




曾野綾子は、『ある神話の背景』の取材で、朝鮮人軍夫や朝鮮人慰安婦のことは知っていた。だが書かなかった。書けば大変なことになると知っていたからだ。沖縄在住のジャーナリストで、『鉄の暴風』の著者でもある太田良博に、そう打ち明けている。何故、曾野綾子は、赤松部隊の「朝鮮人軍夫逃亡事件」を書かなかったのか?『曽野綾子大批判』を読め!


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