文藝評論家=山崎行太郎の『 毒蛇山荘日記(1)』

文藝評論家=山崎行太郎の政治ブログ『毒蛇山荘日記1(1) 』です。

近刊予定の『柄谷行人論序説』の一部です。


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■批評家とは何か?ー小林秀雄柄谷行人



 柄谷行人は、「意識と自然」という漱石論で、「群像」新人文学賞を受賞して、文芸評論家としてデヒューした。そして矢継ぎ早に、文芸評論集『畏怖する人間』と『意味という病』を刊行し、新人文芸評論家としての地位を築く。つまり、柄谷は、思想家でも哲学者でもなく、あくまでも、文芸評論家としてデビューし、文芸評論家として不動の地位を築いた、文芸評論家なのである。この事実は、柄谷行人を論じるとき、かなり重要である。
 現在、柄谷行人を、文芸評論家として論じることには無理があると考える人も少なくないだろう。『マルクスその可能性の中心』以後、『トランスクリティーク』などを経て、『世界史の構造』や『哲学の起源』、あるいは『遊動論 柳田国男と山人』などの著者としての柄谷行人は、文芸評論、あるいは文芸批評というものの範囲を越えているし、文芸的テーマを逸脱しているように見えるからだ。
 しかし、柄谷が、文学ではなく、思想や哲学、政治を問題にすることが多いとしても、外見や素材はともかくとして、 その存在本質は、やはり文芸評論家である、と言わなければならない。柄谷自身も、文芸評論家という言葉にこだわっている。
 広松渉との対談「共同主観性をめぐって」で、こういっている。

《そして、それは実は日本でものを考えるということの困難とつながっている。ぼくの偏見では、西田幾多郎を例外にすると、日本の哲学はむしろ文芸批評家にあったのではないかと思うのです。西欧ではけっしてそうではない。哲学者の方がすぐれた批評家だったといってよいかもしれません。》(柄谷行人「共同主観性をめぐって」)

 柄谷は、「文芸批評家」、あるいは「批評家」という言葉を、「哲学者」という言葉の上位においている。「日本では・・・」という条件が付いてることと同時に、この言葉は、「柄谷行人とは何か」を考える上で、キーワードになる言葉と思われる。特に、文芸批評家という言葉に、柄谷がこだわっていることは、特筆してよい。これは、柄谷が、自分自身を、「文芸批評家」と見なしていると言うことでもあろう。
 むろん、「日本の哲学はむしろ文芸批評家にあった・・・」と柄谷がいうとき、念頭にあるのは小林秀雄であろう。
 したがって、私の「柄谷行人論」は、「小林秀雄柄谷行人」という問題を重視することになるだろう。
 先の「共同主観性をめぐって」で、続けてこう書いている。

《たとえば、ニーチェは、「真理によって破滅しないために、われわれは芸術をもっててる」といっている。ぼくは自分の仕事を、その対象がどんなものだとしても、文芸批評の延長として考えています。実際また、マルクスについて考えることにおいても、ぼくは批評家から学んできたのです。その意味では、自分のやっていることを素人っぽいものだなと考えたことはありません。》
 

 柄谷が、ここで、「マルクスについて考えることにおいても、ぼくは批評家から学んできたのです。」というときの「批評家」とは、言うまでもなく「小林秀雄」である。
 その証拠に、柄谷は、最初の本格的なマルクス論である『マルクスその可能性の中心』で、小林秀雄マルクスに関する文章を、何回も引用している。柄谷が、いかに多くのことを小林秀雄から学んでいるかが分かるだろう。
 柄谷の『マルクスその可能性の中心』の第二章の冒頭に、小林秀雄の文章が引用され、柄谷のマルクス論で、小林秀雄が重要な役割を演じていることがわかる。


 言い換えれば、マルクスを論じるのに、小林秀雄マルクス論に無関心な者たちのマルクス論と、柄谷のマルクス論は、何処かが大きく異なるということだ。
 何処が異なるのか。私の「柄谷行人論」のポイントは、そこにある。このことは、後に詳しく論じるつもりだ。今は、小林秀雄の名前を出しおくだけにしておく。
 柄谷行人は、何故、批評家・小林秀雄の思考を重視するのか。
 『批評とポスト・モダン』で、「三木清小林秀雄」を比較して、こう言っている。

 《たとえば、三木清小林秀雄を比べてみればよい。驚くべき秀才の三木清にとって西欧の反近代的思想を把握することなど造作ないことであり、しかもたんなる西欧派ではなく、それを西田幾多郎の哲学と結びつけることすらたやすかった。また彼は、たくみに文芸評論を書いた。しかし、いうまでもなく彼は《批評家》ではなかった。彼は哲学を読み、゛問題゛をつかむことはできたけれども、゛問題゛のなかですでに消去されてしまっているパラドックスを読むことはできなかった。》

 三木清は、小林秀雄と同時代の思想家である。京都大学で、哲学を西田幾多郎に学び、卒業と同時に、新進気鋭の秀才哲学者としてドイツに留学、帰国すると、『パスカルにおける人間の研究』を刊行し、人気者になる。マルクス主義が台頭すると、いち早くマルクス研究の成果を世に問う。常に、時代の脚光を浴び続けた哲学者である。
 しかし、柄谷は、三木清を、「批評家」ではなかったという。この言葉の裏には、「小林秀雄は批評家だったが・・・」という言葉が隠されている。つまり、三木清については、「彼は哲学を読み、゛問題゛をつかむことはできたけれども、゛問題゛のなかですでに消去されてしまっているパラドックスを読むことはできなかった。」というのに対して、小林秀雄については、彼は、「゛問題゛のなかですでに消去されてしまっているパラドックスを読むことができた。」というのである。
 三木清小林秀雄の差異は、何処にあるのか。むろん、哲学者と批評家の差異ではない。批評家であるかないかの差異である。
 では、批評家とは何か。
 柄谷は、「批評」について、次のように言う。

《《批評》がうしなわれる瞬間ははっきりしている。それはパラドックスを理論的に解消してしまうときだ。そこに動的文体など生まれようがない。》

 「パラドックスを理論的に解消してしまうとき」とは、言い換えれば「パラドックスを理論的に説明するとき」ということができる。パラドックスは説明可能なものでも解説可能なものでもない。それは、生きるしかないものだ。つまり、「パラドックスを生きる」とき、動的文体が生まれるということだ。ここで、詩人や小説家は、作品を創造する。パラドックスを説明しても解説しても、作品を創造することはできない。
 小林秀雄三木清の差異は明らかだ。小林秀雄は、「パラドックスを生きた」が、三木清は、パラドックスを説明し、解説することには成功したが、「パラドックスを生きる」ことをしなかった。
 つまり、小林秀雄は批評家だったが、三木清は批評家ではなかったということだ。
 この問題は、ここだけに限らない。
 柄谷のあらゆる思考と思想に絡んでいる。たとえば、柄谷の重視する「価値形態論」も、「他者性」の問題も、「外部」の問題も、「非対称性」の問題も、この「パラドックスを生きる」ことと深く結びついている。
 

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