文藝評論家=山崎行太郎の『 毒蛇山荘日記(1)』

文藝評論家=山崎行太郎の政治ブログ『毒蛇山荘日記1(1) 』です。

野依良治=理研理事長は、何故、激怒し、会見場から逃げ出したのか? 激怒するのは小保方晴子さんであって、逆だろうと思うが。野依良治=理研理事長と調査委員長の石井俊輔の二人は、「小保方晴子事件」の全体像が全く見えていなかったのだろう。

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理研の最初の記者会見で、理研は、マスコミの「小保方晴子バッシング報道」に反論し、若い科学者の才能と将来を守るのかと思っていたが、まったく逆だったので、唖然とした。マスコミ主体の「小保方晴子バッシング報道」ブームに迎合し、小保方晴子さんだけを「研究不正の犯人」に仕立て上げて、スケープゴートにすれば、「理研」は、マスコミや政府から、拍手喝采を受けるだろうと錯覚したのだろう。それが、誤算だったことは言うまでもない。


逆に、野依良治や石井俊輔ら「理研」幹部たちの「三流政治屋」ぶりが露見したのである。特に、野依良治の「三流政治屋」ぶりを、印象づけられたのは、一回目の記者会見の直後、文科大臣室に直行し、米搗きバッタのように、ペコペコ頭をさげた時だった。


しかも、4/1、調査委員会の最終報告で、「研究不正は小保方晴子さん一人です」と、自信満々に、言い切った。論文の共同執筆者たちは、無罪だというわけだ。これが、日本の科学研究業界の実態なのかと、唖然とした。小保方晴子さんだけをスケープゴートにして、男たちは、生き延びようというわけだ。


しかし、「小保方晴子記者会見」で潮目は大きく変わった。小保方晴子さんは、理研への恨みや批判をすることなく、冷静に「小保方晴子事件」なるものの内情と背景、調査過程を明らかにした。言葉を選びながら、理研内部の、小保方晴子さんだけを切り捨てて、自分たちだけは生き延びようとする組織的な陰謀と謀略を暴露したのだ。野依良治が激怒するはずだ。


それと同時に、今度は、野依良治らこそ、マスコミから追われ、追撃される側になったのだ。マスコミこそ人権侵害、名誉毀損・・・の最大の「加害者」なのだが、その責任を誤魔化すために、今度は、「小保方晴子バッシング」から「理研幹部批判」へ転じ、またも「正義の味方」を装いはじめたのだ。理研は、「被害者役」から「加害者役」に変わったのだ。
(続く)


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小保方晴子さん一人に全責任を押し付け、その一方で、自分たちだけは生き延びようとして、文科大臣に土下座した野依良治。「エセ科学者」「科学業界の三流政治屋」に転落した瞬間。これが日本の男だ。



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■「無責任」を絵に描いたような御用科学者。ノートが二冊、小保方晴子さんも論文撤回に同意・・・と嘘ばかりの調査報告。「不正行為は小保方さん一人です」と、歴史に残る迷言を吐いた石井俊輔。この御用科学者こそ、科学業界から追放・排除せよ。(石井俊輔の[略歴]、1974.3静岡大学理学部化学科 卒業、1977.11大阪大学大学院理学研究科博士課程生物化学専攻単位取得退学、1977.11神戸大学理学部生物学科 助手、1982.4理化学研究所分子遺伝学研究室研究員、1983.8-1985.10米国 NIH がん研究所(NCI)Visiting Fellow、1987.8理化学研究所分子遺伝学研究室副主任研究員、1989.5理化学研究所分子遺伝学研究室主任研究員、1992.4筑波大学連携大学院 客員教授)