文藝評論家=山崎行太郎の『 毒蛇山荘日記(1)』

文藝評論家=山崎行太郎の政治ブログ『毒蛇山荘日記1(1) 』です。

「週刊文春」よ、女性科学者は「ブス」でなければならないの?女性科学者は「恋愛」をしちゃいけないの?それって、人権侵害だろ?女性差別だろ?これは裁判だな。裁判覚悟で書いているのかね?


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週刊文春」を読んだ。小保方晴子博士の「服装」「装身具」、そして「恋愛」「処世術」・・・などをあげつらっている。しかも、小保方晴子博士の元同僚や関係者の嫉妬と僻みに満ち満ちた匿名の言葉を、馬鹿みたいに一方的に信用している。「研究室ボスに露骨にすり寄る」だと。それは、ダメ人間特有の嫉妬、僻み、妬みの言葉以外の何物でもない。小保方晴子博士は、研究や実験には熱心だったが・・・というが、いいじゃないか。研究や実験が第一義だろう。指輪やファッションが第一義じゃーないだろう。


要するに、元同僚らは、自分の無能を忘れて、小保方晴子博士の「学問的情熱」や「研究成果」を妬んでいるだけだろう。「元同僚」とは、おそらく東大や京大の出身者だろう。こういう才能も情熱もない俗物の名前をこそ暴露せよ。小保方晴子博士を批判するなら、顔を出せ。そして名前と学歴、研究歴を公表せよ。


週刊文春」って、本当にどうしようもない週刊誌だな。科学記事のはずだが、シモネタばかり。これを書いたり編集したりしている連中には、東大卒や京大卒もいるはずだが、ミジメにならないか? 元々、その程度の人間たちの集団なのか。


「文藝春秋」は、もうかなり前の話だが、保守論壇の機関誌、「諸君!」という雑誌を、突然、廃刊にしたことがある。おそらく、最近の保守論壇の堕落と劣化を予知し、「文藝春秋」自体の堕落と劣化を防ぐために「諸君!」を切ったのだろう。「文藝春秋」社の「週刊文春」・・・。これ以上、恥をさらし続けるなら、即、廃刊にすべし。


さて、「日本学術会議」理事長大西隆会長(東京大名誉教授)が、stap細胞問題について、ちょっと、まともなことを言っている。「論文不正問題」よりも、stap細胞研究そのものの解明に集中せよ、と勧告したらしい。遅すぎる勧告だが、しないよりはましだろう。今頃、こいう発言をするということは、この連中はは、自分たちの下世話な、世俗的な俗物ぶりが、国民の面前で暴露されて、恥ずかしくなったのだろう。

■「作製できたかも解明を」=STAP細胞問題で理研に−学術会議


 理化学研究所小保方晴子研究ユニットリーダーらが発表した新万能細胞「STAP(スタップ)細胞」論文に疑義がある問題で、日本学術会議大西隆会長(東京大名誉教授)が19日、文部科学省で記者会見し、理研の調査に関する4項目の談話を発表した。
 「日本の科学界に対する信頼を国内外で揺るがす問題」とした上で、特に「STAP細胞が作製できたか否かという論文の核心についても調査対象として解明することが必要」と要望している。

独立行政法人=日本学術振興会」理事長の安西祐一郎が、まともなことを言っている。

■科学研究の目的はトップジャーナルに論文を載せることなのか?

http://www.yuichiroanzai.com/blog/2013/02/科学研究の目的はトップジャーナルに論文を載せることなのかその2.html


(前略)ただ、研究者であれば、研究の真の目的は、まだ誰も答えを見つけていない未解決の科学的問題を自分で見定め、その答えを発見すること、あるいは自分で創造することです(「発見」と「創造」は認知科学的には異なる概念ですが、この二つの概念の関係を明らかにするという認知科学上の「問題」はまた別の機会に)。また、その答えは、永く、あまねく世界の人々の資産となるものであることが望ましいのです。
ですから、研究者に「あなたの研究は何のため?」と聞いたときに、「こういう未解決の問題に挑戦しています。なかなか難しくてつらいですが、でもすごく楽しい」という返事が返ってくるのならよく理解できるのですが、即座の返事が「Natureに論文載せるためです!」だとなると、「えっ!?」と思う、ということです。
・・・・(略)


安西祐一郎は、前慶應大学学長で、理工学部教授である。何故、こいうまともな言葉が、東大理学部教授たちの口からは、出てこないのだろう。東大教授や東大の学生たちが、「論文を書くこと」「博士号」「大学や研究所に就職すること」「定年まで科学者生活を無事おくること」にしか関心を持たないということだろう。

研究者であれば、研究の真の目的は、まだ誰も答えを見つけていない未解決の科学的問題を自分で見定め、その答えを発見すること、あるいは自分で創造することです」


という言葉が、私学である慶應関係者から出てくるところに、日本の科学者業界の悲劇がある。科学技術の研究開発のための膨大な国家予算のほとんどは、早慶など私学ではなく、東大や京大の研究室に投下されているはずである。その東大や京大の教授や学生の関心は、学問研究ではなく、「博士論文の書き方」「論文を雑誌に投稿掲載すること」「就職すること」にしかない。東大や京大に税金を投下することは、無駄以外の何物でもない。即刻、半減・削除すべし。税金の無駄使いである。
(続く)




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■僕の処女論文集です。文芸評論ですが、大学院時代に考えた「科学基礎論」「科学史・科学哲学」をテーマにしています。この評論集の中の「小林秀雄理論物理学」(「三田文学」)は、僕の、記念すべきデビュー作です。参考までに。オビの推薦文は柄谷行人氏です。





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竹内薫シュレジンガーの猫』(中公文庫)より。

「この評論には、ある意味では、僕が漠然と抱えていた不安や悩みに対する答えがはっきりと書かれていた・・・」、「大変、失礼とは思うが、僕は、山崎行太郎という人が文学部出身であることに正直言って驚いた・・・」(竹内薫)

Amazonに書評がありました。ちょっと褒めすぎのようですが、参考までに紹介します。(👇)

■大いなる学問的刺激を与えられた... 2013/2/2
By 晴耕雨読


形式:単行本|Amazon.co.jpで購入済み
結論から言えば、、この著書を読んで大変良かったと思うし、私の飽くなき『学問』への探求、執着、欲求に大いなる刺激を頂いた。第1章から第5章、それに増補の全てに大変興味深く読ませて頂いた。山崎氏が増補版のあとがきの中で、「私は、微力ながら、本書で明らかにしようとしたのは、、その『批評とは何か』という問題であった」と書かれている。この本を通して、私なりに山崎氏の文藝評論に対する考え方、哲学等を理解したし、出来たと思っている。また、私は、この本を通して、小林秀雄柄谷行人江藤淳氏等の思考・哲学の深淵に触れさせて貰ったような気がする。尚、私は、柄谷行人氏の近著である「哲学の起源」、「世界史の構造」や、「小林秀雄作品集」等と併せて読んでいるので、私の学問的欲求がより一層広がっていくように思う。
さて、これまで、山崎行太郎氏の著書である「小説三島由紀夫事件」、「それでも、私は小沢一郎を断固支持する」、「最高裁の罠」共著を読み終え、今回この本を読んだ訳だが、いつもながら、山崎氏の文章には敬服する。その理由は、大変論理的で、しかも文章自体がとても分かり易いからである。難しいことを、分かり易く読者に伝える難しさを知っているからこそ、なせる技だと思う。勿論、山崎氏の哲学、主張は、理路一貫しており、今の私からみれば、現状の日本の政治、経済状況の中にあっては、山崎氏の政治哲学者、文藝評論家としての存在意義及び価値が、極めて高く、貴重だと私は考えている。従って、益々のご活躍を期待したい。

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