文藝評論家=山崎行太郎の『 毒蛇山荘日記(1)』

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保守論壇を「愚者の楽園」にしたのは誰か?(『保守論壇亡国論』序文から)

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■「亜流思想家」たちの末路
 保守思想家の元祖とも言うべき小林秀雄は、戦前に書いた長編連載評伝『ドストエフスキイの生活』の序文で、こう書いている。

 《従って次の事はどんなに逆説めいて聞えようと真実である。偉大な思想ほど亡び易い、と。亡びないものが、どうして蘇生する事が出来るか。亜流思想は亡び易いのではない。それは生れ出もしないのである。》

 若き日の小林秀雄が書きとめたこの一節には、小林秀雄の批評や思想の本質がよく表れている。小林秀雄は「偉大な思想」と「亜流思想」を明確に区別し、彼自身も「亜流思想」ではなく「偉大な思想」を必死に求めていた。我々が小林秀雄の書き残したテキストを何度も何度も読み直すのは、それが「亜流思想」ではないことを直感的に知っているからだろう。また、そうでなければ、小林秀雄の難解な作品を集めた全集が、一〇年おきぐらいに、何回も刊行されるはずがない。
 「偉大な思想」と「亜流思想」の違いはどこから来るのか。江藤淳は『小林秀雄』で、次のように書いている。

 《小林秀雄以前に批評家がいなかったわけではない。しかし、彼以前に自覚的な批評家はいなかった。ここで「自覚的」というのは、批評という行為が彼自身の存在の問題として意識されている、というほどの意味である。彼の出現に先立っていたのは長い、健康な啓蒙期であった。彼の沈黙と同時に出現したのは、小林の語彙を用いることを識った新しい、衰弱した啓蒙家たちである。つまり彼は批評を創め、芸術的な表現に高めると同時に、これをこわしたのである。》

 小林秀雄はまさしく「偉大な思想家」であるが、多くの「小林の語彙を用いることを識った新しい、衰弱した啓蒙家たち」は、「小林秀雄エピゴーネン」にすぎず、彼らこそ「亜流思想家」と呼ぶべき存在である。
 私がこれから書こうとするのは、小林秀雄のような「偉大な思想」を作り上げた思想家の歴史ではなく、ここ一〇年、二〇年の間に、日本の論壇やジャーナリズムで猛威をふるった「亜流思想家」たちについてである。つまり、これから書くのは、「亜流思想家たちの末路」とでも言うべきものである。
 「亜流思想家」たちの特徴は、定義や概念にばかりこだわるところにある。彼らは保守や保守主義の定義にやたらとこだわり、自分が保守であること、あるいは保守主義者であることを強調する。
 しかし、自ら保守主義者を名乗るような政治家や思想家、ジャーナリストたちが大量に出現し、保守という言葉が氾濫するようになった時から、保守思想の劣化と退廃は始まったのである。

■イロニーとしての保守
 私もかつて、大学紛争や左翼運動が華やかだった頃、しばしば保守や保守反動を自称していたことがある。とはいえ、「保守とは何か」、「保守反動とは何か」を厳密に考えた上で、それを自称していたわけではない。ただ、左翼嫌い、進歩・革新派嫌いというそれだけの理由から、漠然と保守を自称していたにすぎない。つまり、自虐的に、イロニーとして、保守や保守反動を気取っていたのである。
 もちろん、小林秀雄江藤淳、あるいは田中美知太郎や永井陽之助福田恆存三島由紀夫などの書いた著作や論文を愛読し、彼らを尊敬し敬愛し、自分もそういう保守思想家になりたいと思っていたが故に、保守や保守反動を自称していたという面もあった。
 私は当時、左翼市民運動学生運動に興味がなく、デモなどには一度も参加したことがないというのが密かな自慢だった。左翼の連中は付和雷同し、数に物を言わせて騒いでいるだけで何も考えていないと思っていた。
 それに対して、小林秀雄江藤淳など保守論壇で孤軍奮闘する作家や思想家たちは、物事を深く考えているように見えた。また、彼らも、保守や保守思想の定義や概念にこだわっているようには見えなかった。彼らは思想を実践したり作品を作ることに忙しく、定義や概念にこだわっている暇がなかったと言っていい。
 創業者的な初代の保守思想家たちは、オリジナルであるが故に、保守や保守思想、あるいは保守主義の定義や概念などにこだわらなかった。小林秀雄などは、保守とか保守思想という言葉さえ、ろくに使っていない。
 しかし、「亜流思想家」たちは、保守や保守主義の定義にこだわり、保守や保守主義の体系化、理論化に忙しい。そして、保守や保守主義者であることを、喜んで広言する始末である。
 小林秀雄から江藤淳の時代に至るまで、保守思想家は絶対的少数派だった。当時は保守や保守思想家を名乗ることもはばかれるような時代だった。
 ところが、現在では「一億層保守化」とか「ネット右翼」という言葉が生まれ、知識人や文化人も好んで「保守思想家」や「保守系ジャーナリスト」を名乗り、安倍晋三平沼赳夫のような政治家たちまでが積極的に「保守政治家」とか「真性保守」を自称するようになっている。また、保守主義団体のようなものが頻繁に集会や市民運動を展開し、デモや抗議行動、あるいは「沖縄集団自決裁判」や「百人斬り」などの裁判闘争を繰り広げるようにさえなっている。
 かつて、左翼に対するイロニーとして存在した保守、つまり「イロニーとしての保守」の時代から、保守や保守主義が明確に定義され、保守の本質や概念が語られるようになった現代、つまり「イデオロギーとしての保守」の時代への思想的変化の意味は小さくない。
 それでは、かつて保守や保守反動と呼ばれた、小林秀雄江藤淳、田中美知太郎、福田恆存らは、保守というものについてどう考えていたのだろうか。
 彼らには、保守の定義や概念、あるいは保守の本質に関する議論はほとんどないが、わずかに次のような文章が残されている。福田恆存は、こう言っている。

 《私の生き方ないし考え方の根本は保守的であるが、自分を保守主義者とは考えない。革新派が改革主義を掲げるようには、保守派は保守主義を奉じるべきではないと思うからだ。私の言いたいことはそれに尽きる。
 普通、最初に保守主義というものがあって、それに対抗するものとして改革主義が生じたように思われがちだが、それは間違っている。》(「私の保守主義観」)

 さらに、江藤淳の発言を見てみる。

 《さて、そこで問題になってくるのは、それではいったい保守とは何なのか、保守主義とはいかなるものなのか、ということです。保守主義というと、社会主義、あるいは共産主義という主義があるように、保守主義という一つのイデオロギーがあたかも存在するかのように聞こえます。しかし、保守主義イデオロギーはありません。イデオロギーがない――これが実は保守主義の要諦なのです。(中略)
 保守主義を英語で言えばコンサーヴァティズムです。しかしイズムがついたコンサーヴ――保守が果してありうるのか。保守主義とは一言でいえば感覚なのです。更に言えばエスタブリッシュメントの感覚です。》(「保守とはなにか」)

 福田恆存江藤淳が言っていることは、煎じ詰めれば「保守の定義不可能性」ということである。彼らにとって、保守とは「生き方」や「考え方」のスタイルであって、その本質や概念が先にあるわけではなかった。
 つまり、保守や保守主義というものの定義や本質が先に決定されており、その概念の基準にかなうものを保守派ないしは保守主義者と呼ぶ、というわけではないということである。
根拠を、思想的レベルにまで踏み込んで、批判的に総括してみたいと思う。保守論壇は、何故、かくも幼稚になったのか、保守論壇を「愚者の楽園」にしたのは誰か、と。

(続く)



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