文藝評論家=山崎行太郎の『 毒蛇山荘日記(1)』

文藝評論家=山崎行太郎の政治ブログ『毒蛇山荘日記1(1) 』です。

ハンナ・アーレトの『全体主義の起源』を読みながら考えたこと。

僕は、必ずしも全体主義=悪、民主主義=善という図式を、素朴に信じているわけではないが、それにしても、ヒットラースターリン全体主義の熱狂の渦の中へ、どうして人間が取り込まれていくかを見て行くと、アーレントの言わんとすることがよく分る。
人間は、何事であれ、「分かりたい」「問題を解決したい」と欲する動物である。そして「分かりやすい答え」にすぐ飛び付く動物である。インテリであれ大衆であれ、それは変わらない。同じである。先の見えない暗中模索の時代になると、様々な、不可思議な人間が暗躍する。人間が思考する時間、時代である。そういう時だ。「分かりやすい答え」が威力を発揮するのは・・・
ハンナ・アーレトは答えのない暗中模索の繰り返しに飽き、つまり「粘り強く考える」ことに疲れ、「分かりやすさ」と「単純素朴な答え」を求め、「思考停止」状態に陥ることが、『全体主義の起源』であると言っているように思われる。ヒットラースターリンのような「狂気」の天才が、全体主義をもたらすのではない。普通の、凡庸な人たちが『全体主義の起源』なのだ。
その意味で江藤淳漱石論で言っていることは正しい。至言である。「漱石は問題を解決したから偉大なのではない、問題を解決しなかったから偉大なのだ」・・・・・・。僕が、文学や哲学にこだわるのは、そこに答えがあるからではない。文学や哲学は「単純素朴な、分りやすいい答え」を拒否するからだ。
言い換えれば、「分かりやすさ」と「安易な答え」を拒否し、「存在と虚無」に耐え、つまり「存在の深淵」を覗き込み、暗中模索と試行錯誤を繰り返すことから、いわゆる「作品」が産まれるのだ。「単純素朴な、分りやすいい答え」 で満足する精神からは、「作品」は産まれない。作品があるかないか、ホンモノかニセモノかは、それで分かる。


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