文藝評論家=山崎行太郎の『 毒蛇山荘日記(1)』

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柄谷行人論序説(9)

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■掘建て小屋の思考。
柄谷行人は成長する思想家ではない。言い換えれば、段階的に思想を積み上げて、最終的には巨大な思想体系を構築する、そしてその構築された巨大な思想体系や理論体系によって評価されるような、そういう思想家ではない。その意味で、柄谷行人には進歩も前進も発展もない。
 むろん、私は、そのことを否定的にとらえていない。そもそも私は、成長する思想家、つまり日々、進歩、前進、発展していく思想家という思想家の在り方に疑問を持っている。たとえば「初期マルクス」や「後期マルクス」と呼ぶ。要するに、「初期マルクス」は、「後期マルクス」へと成長していき、最終的に、『資本論』で、「マルクス主義」という思想体系、理 論体系を構築したというわけだ。その言い方で言えば、「初期柄谷行人」があり、「後期柄谷行人」があるはずである。そしてマルクスと同様に、柄谷行人の場合も「初期」から「後期」へと成長、進歩、前進、発展・・・していくという解釈ができる。
 繰り返して言うが、こういう思想家の成長・発展物語に、私は、違和感を持つ。実は柄谷行人自身が、そういう思想家の成長・発展の物語を神話として否定しているように見える。
 柄谷行人は「掘建て小屋の思考」という短いエッセイで、こんなことを言っている。へーゲルは巨大な城を建てたように見える。これに対してキルケゴールは粗末な小さな掘建て小屋しか作らなかったように見える。しかし、へーゲルだって、実は小さな粗末な掘建て小屋 で思考し、死んでいったのである。確かにへーゲルの思想体系は巨大な城のように見える。キルケゴールの城は、お粗末な掘建て小屋でしかないように見える。つまり、思想や思想家をよく見るならば、へーゲルだってキルケゴールだって、またマルクスだって、お粗末な掘建て小屋で思考している、いわゆる掘建て小屋の住人なのだ。この問題に関連して、たとえば、柄谷行人は、マルクスマルクス主義との差異を次のように説明している。

マルクス主義を形成したのは、エンゲルスである。エンゲルスは、マルクスのテクストの文字通り最初の読者であり解釈者だった。問題は、彼が、マルクスとは資質の違った、ある意味で有能な思想家だったことにある。エンゲルスが「真のマルクス」を歪曲した というのは当たらない。エンゲルスの天才なくして、マルクス主義が実際にあれほどの神話的、宗教的力を持ち得たはずがないからである。それはキリスト教を創りだしたパウロに似ている。パウロはイエスの死そのものを解釈しなおしたのであり、イエス自身はけっしてキリスト教創始者たりえないのである。》(『マルクスその可能性の中心』)


これは、何を意味するだろうか。私の考えでは、これは、マルクスマルクス主義は異なる。つまり、必ずしも、マルクス主義という巨大な思想体系、つまり巨大な城の中に、マルクスは住んでいない、と言うことだ。従って、柄谷行人マルクス論は、「マルクス その可能性の中心」と呼ばなければならないのだ。マルクスは、エンゲルスマルクスの テクストの断片から体系化し、構築した「マルクス主義」という巨大な思想体系のなかにではなく、「可能性の中心」としてお粗末な掘建て小屋に住んでいるのだ。
同じことが、柄谷行人自身にも言えるはずである。柄谷行人は、『畏怖する人間』から、最近の『世界史の構造』や『哲学の起源』に至るまで、成長、進化、発展・・・してきた思想家ではない。したがって、『世界史の構造』や『哲学の起源』を、柄谷行人の総決算の書として読むことは間違いである。したがって、私は、初期作品を読むように、『世界史の構造』や『哲学の起源』を読む。むしろ、柄谷行人は、その時々でテーマや素材を変更し、場所やジャンルを移動しているが、その思考の姿勢、思考の本質は変わっていない。そこを読むべ きなのだ。

■外部とは何か?
では「掘建て小屋」で思考するとは、どういうことだろうか。たとえば、柄谷行人は「他者」という言葉を多用した次期があり、また「外部」という言葉を多用した次期もある。あるいは「交換」や「交通」・・・。しかし、言葉や用語は変わったとしても、柄谷行人は、一貫して同じことを言ってあるのではなかろうか。
 たとえば、「他者」や「外部」は、それぞれ異なるものだろうか。おそらく、柄谷行人にとっては、「他者」も「外部」もそれほど異なるものではない。「他者に出会う」「外部に出る」・・・それは、同じことのように見える。たとえば、柄谷行人は、「出エジプト記」で、ユダヤ人を連れ出してカナンの地へと導いた「モーゼ」について、こう言っ ている。

《しかし、ここで別の読み方が可能であろう。たとえば、モーゼ自身がカナンの地に入ることを拒んだということができないだろうか。また、モーゼがユダヤ人をエジプトから連れ出したのは、「約束の地」に導くためではなく、「砂漠」に導くためではないだろうか。このことは、いろんな角度から指摘できる。たとえば、マックス・ウェーバーの考えでは、モーゼは、ユダヤ人を、農耕定住民(奴隷であろうと主人であろうと)から、遊牧民としての在り方に戻そうとする運動を象徴している。あるいは、それを、のちにカナンの地において出現してきた預言者たちの側からみてもよい。それは、バール神ーー農耕神であり、共同体のの宗教(偶像崇拝)であるーーに対して、モーゼの宗教を回復 するものであった。それらは、農耕定住民の共同体に反して、外部(砂漠)へと人を導く運動なのだ。ここで、砂漠とは、内と外との区別がないような交通の網目の空=間を意味する。(中略)さらに、モーゼにとって、約束の地とは、「約束の地」(目的)に到達することを拒むこと、いいかえれば「過程」そのものなのである。こうしたことが、モーゼの「物語」のなかでは、消されてしまう。》(『探究�』)

柄谷行人は、奴隷の身分に落ちたユダヤ人をエジプトから解放し、カナンの地へと導いたという物語を、「外部へ」連れ出す運動としてとらえている。
奴隷から外部へ。この分析・解釈は重要である。言い換えるなら、エジプトから連れだされたユダヤ人は、「外部へ」連れ出されたのだから 、「外部」にとどまることを要求されている、ということだ。定住地=共同体という「約束の地=カナン」は、「外部」そのものということになる。国家という定住地=共同体を持たず、国家なき流浪の民として生きてこなければならなかったユダヤ人の歴史は、「外部」にとどまり、「外部」を生き続けなければならなかった民族の歴史なのである。
柄谷行人の『世界史の構造』と『哲学の起源』は、ユダヤ人やユダヤ教に多くのページをさいている。なぜ、ユダヤ人やユダヤ教なのか。まさしく、ユダヤ人やユダヤ教こそ、「外部」の具体的見本なのである。
 つまり、私の考えでは、柄谷行人が言うところの「掘建て小屋の思考」とは、「外部」に出て、「外部」にとどまり、「外部」で思考することな のだ。
 しかし、今日、柄谷行人を読む人たちの多くは、この「外部」を、「物語化」し、「偶像化」し、「神話化」する。そして「外部」という言葉が一人歩きし、「外部」教信者があふれることになる。私が、柄谷行人のテクストは刺激的で、面白いが、柄谷フアンや柄谷エピゴーネンに全く関心がないのはそのためである。つまり、「外部」や「他者」をいくら声高に語ったとしても、その思考は、安住の地(共同体)の思考に回帰しているからだ。
小林秀雄も、こう言っている。

《従って次の事はどんなに逆説めいて聞こえようと真実である。偉大な思想ほど滅び易い、と。亡びないものが、どうして蘇生することが出来るか。亜流思想は亡びやすいのではない。それは生まれ出もしないのである 。》(小林秀雄ドストエフスキイの生活』)

柄谷行人は、初期から、小林秀雄のこの言葉をよく理解していた。そしてそれは、『世界史の構造』や『哲学の起源』においても変わらない。「偉大な思想ほど滅び易い、と。亡びないものが、どうして蘇生することが出来るか。亜流思想は亡びやすいのではない。それは生まれ出もしないのである。」
 私は、柄谷行人を、小林秀雄との関連で読む。私は、柄谷行人小林秀雄と異なることをいっててるとは思わない。柄谷行人は、「小林秀雄を越えた」などという俗説を私は、信じない。したがって、私の柄谷行人論は、小林秀雄論でもある。(続)


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