文藝評論家=山崎行太郎の『 毒蛇山荘日記(1)』

文藝評論家=山崎行太郎の政治ブログ『毒蛇山荘日記1(1) 』です。

稲村公望講演会を聞きに行く。西郷南洲論からフーバー大統領回顧録まで。

先週金曜日のドストエフスキー『悪霊』公開対談に続いて、日曜日は「畏友稲村公望」の講演会に出かけた。稲村公望講演会は、鹿児島県人会関東連合会が主催したもので、出席者も多く大盛会であった。特に稲村公望氏が「徳之島出身」ということで、種子島奄美大島、徳之島・・・など、島関係の人たちが多かった。稲村氏は、徳之島に生まれ、鹿児島ラサール高校から東大法学部、郵政省というエリートコースを歩んだ人である。郵政官僚として、小泉郵政改革に断固反対し続け、職を追われた人だ。現在、中央大学大学院客員教授で、「月刊日本」を中心に言論活動を続けている。さて、稲村氏は、熱狂的な西郷南洲ファンである。とりわけ、西郷隆盛奄美流刑体験を重視する。若いころ、奄美大島に流され、そこで結婚し、子供まで儲けるという体験の持ち主である西郷南洲にとって、この奄美流刑体験の思想的意味は意外に大きいという前提のもとに、南洲の「洲」が祈りの場所であるという持論を展開する。さらにフーバー大統領の分厚い回顧録に書かれている「ルーズベルトと太平洋戦争」の話まで、多岐にわたっていたが、大東亜戦争、つまり日米開戦に至る「ルーズベルトの狂気」、言い換えれば、日本側の和平工作を拒絶し続け、あくまでも大戦争を欲望し、日米開戦にいたった根本原因は、「戦争に入りたいという狂人(ルーズベルト)の欲望であった」という話など、考えさせる問題が少なくなかった。稲村氏は、途中で自慢の歌まで披露するなど、型破りの講演会であった。講演会後、懇親会から二次会に行き、そこで鹿児島出身で各界で活躍する名士たちと話が出来て楽しかった。
さて、前々日の『悪霊』という小説をめぐる岩田温氏との公開対談だが、こちらの方も、我ながらうまくいった。なかなか面白い、中身の濃い公開対談になった。岩田温氏も、参加者の多くも、あの分厚い本を、完全に読破した上で公開対談に臨んでいた。特に興味深かったのは、岩田氏が、約一か月の英国滞在中、河出書房版の、つまり「米川正夫訳・ドストエフスキー全集」の『悪霊』二冊を持ち込み、完全に読みこなしていたことだ。ドストエフスキー長編小説の中でも『悪霊』は、最も読みにくい。途中でというより、冒頭の章で挫折する人は少なくない。アントンと言う語り手の「私」、主人公のように長々と描かれるステパン・ボルフォヴエンスキー・・・この二人の平凡・凡庸な語り口や人生・・・これが、読者には、波乱万丈、狂気すれすれの異常な人生を描くドストエフスキー的なものと対極にあるように見えるからだろう。途中から、ニコライ・スタブローギン、ピョートル、キリーロフなど、いかにもドストエフスキーらしい人物が続々と登場して、それこそ波乱万丈な、かつ深刻なドラマが、「群衆劇」のように展開していくことになるのだが、そこまで行くまでが、退屈なのだ。つまり、この退屈さを乗り越えられた者のみが『悪霊』を、つまり最後のニコライ・スタブローギンの首つり自殺の場面まで読み通すことが出来るというわけだ。最近の本は、手軽な新書の氾濫が象徴しているように、読みやすいだけで内容のない、軽いものが多い。二、三時間で読み終えるような手軽な本が悪いというわけではないが、あまりにも分かりやすい、軽薄な本しか読まないという読書習慣、読書傾向は、結局、読者を、「読書力の減退」へ、「思考力の減退」へと導くことになる。その意味で、今こそ、ドストエフスキーの『悪霊』のようなとっつきにくい、難解な長編小説を読むことが必要だろう。稲村氏が持参していた『フーバー大統領回顧録』も分厚い本だったが、『悪霊』も負けず劣らずの分厚い本である。読解力と思考力は、新書や入門書では身につかない。
さて、今月、「畏友清水正」(日大芸術学部教授)の「ドストエフスキー論全集第六巻『悪霊』論」ももうすぐ出る。すでに亀山郁夫氏の『謎解き『悪霊』』も刊行されたらしい。今年は、ちょっとした『悪霊』ブームの年となろう。是非、清水正の分厚い、読み応えのある『ドストエフスキー論全集』も、書店で手に取り、お読みいただきたい。


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