文藝評論家=山崎行太郎の『 毒蛇山荘日記(1)』

文藝評論家=山崎行太郎の政治ブログ『毒蛇山荘日記1(1) 』です。

「被害者」の文学から「加害者」の文学へ。被害者は、常に「美しく」「正しい」とは限らない。ドストエフスキーの文学は「加害者の文学だった・・・。」

(【月刊日本】9月号)http://gekkan-nippon.com/?cat=68
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  私が文学というもの知った時、つまりはじめて文学とかしそうというものに目覚めた時、それは具体的に言えば、高校時代、大江健三郎ドストエフスキーを知った頃だが、私は、その時、いったい、何を知り、何に目覚めたのだろうか、とふと考えてみることがある。その頃、文学好きの高校生として、ただ漠然と文学作品を読んでいたわではない。むしろ、私は、文学嫌いだったし、読書嫌いの部類に入る高校生だった。ふとしたのきっかけで、つまり生物学の先生の推薦で、私は大江健三郎を知り、゛大江健三郎つながりでドストエフスキーを手にした。その頃までに読んだ小説といえば、教科書に出てくるような、夏目漱石芥川龍之介井伏鱒二太宰治・・・というような小説でしかない。私には、
そういう小説は、面白いとも面白くないとも思わなかった。ただ仕方なく読んでいただけだった。
 大江健三郎ドストエフスキーを読むことで、私は、何に目覚めたのだろうか。それは、今から考えると、私が目覚めさせられたものは、「加害者の文学」というものだったように見える。大江健三郎の犬殺しの小説から始まり、ドストエフスキーの『罪と罰』にいたるまで、私は夢中になって読んだ。「加害者の文学」ということなら、ドストエフスキーの『罪と罰』が典型的だが、それは殺人犯、つまり加害者の自己省察の物語である。私は、ラスコーリニコフに感情移入し、主人ラスコーリニコフに斧で撲殺された被害者の老婆二人のことなど、目にもはいらなかった。何故だろう。
世の中に「被害者の文学」とでも言うべき文学や物語が少なくない。私は、早くからその種の「被害者は美しい」「被害者は正しい」式の物の考え方が嫌いであった。そこにある偽善と欺瞞が、生理的に嫌いであった。
 大津イジメ事件という正義と告発の報道を見ていると、ふと同じような違和感を覚える。被害者は常に正しく、被害者は常に美しいのか。加害者の心理は醜悪で残酷なのか。そしてそれで終わりなのか。そもそもイジメそのものが絶対的に悪なのか。そんなはずはない、と私は考える。愛や憎しみがあり、殺人、暴力、戦争がなくならないように、人類が存続する限り、おそらく永遠にイジメもなくならない。イジメによって反社会的分子が排除され、社会秩序が保たれるということはありえないのか。人間社会そのものが「イジメの構造」によって成り立っているではないか。つまり加害者の目線からのイジメ論はないのかと、私は考える。文学や哲学の世界ならあるかもしれない。しかし、そこも同じだ。
 大津イジメ事件はともかくとして、最近は、昨年の3・11事件以後、この種の安易な「被害者文学」が蔓延している。たとえば、「すばる」で、中沢新一や「いとう・せいこう」あたりが、その手の専門家達と組んで、「大飯原発と『ニソの杜』」というシンポジウム・座談会を行っている。原発原子力が加害者で、「ニソの杜」や「民衆」「大衆」が被害者である。今頃、こんな取ってつけたような安直なシンポジウムに何の意味があるのか。「大飯原発とニソの杜」は、今に始まったことではないだろう。
 中沢新一は、こう言っている。

ニソの杜との最初の出会いは十年ほど前にさかのぼります。はじめて訪れたニソの杜はいろんな生物や人間の営みが循環して、一つの大きい流れをつくっている、とても人間の暮らしにいい場所だという印象を受けました。そのころ僕は、ニソの杜を擁する山の裏側に大飯原発があることを意識しないまま、その「日本民族学の聖地」を訪れていたのです。しかし、3・11の後、原発の問題を深く考えるようになってからは、山のこちら側と向こう側粉で全く正反対のことが行われているという事実に、強い衝撃を受けたのです。

  この中沢新一の発言に、私は、世間で学者、思想家と言われる人種の「欺瞞」と「傲慢」を感じる。常に、事件が起きてから、結果論に基づいて、ご立派な講釈を垂れて、マスコミや論壇やアカデミズムの「人気者」になるのが、この種の似非文化人の「世渡りのテクニック」である。3・11以前、中沢新一は、「大飯原発とニソの杜」を知っていたが、特別、意識しなかったという。ならば、今、中沢新一が問うべきなのは、何故、大飯原発のことを考えられなかったか、という問題ではないのか。ニソの杜の隣りに大飯原発が作られたという事実を思考できなかった中沢新一に学問や思想を語る資格はない。そこで、中沢新一の「学問」も「思想」も「言論」も、「無力」且つ「不毛」だったということではな
いか。作家なら筆を折るべきところではないのか。
 しかし、中沢新一は、そのことを、「今は深く反省している」と言いながら、今度は、反省の舌も乾かぬまに、「反原発」の論客として「ニソの杜から日本の未来を考える」(笑)という営業活動に精出しているというわけだ。永井荷風は、「大逆事件」に際し、抗議の声一つ挙げえなかった自分を恥じて、以後は作家ではなく、「戯作者」として生きていくと宣言した。二度と偉そうなことは言うまいという決意表明であった。
 原発事故には誰もが恐怖と身震いを覚えただろう。しかし、原発なるものを意識であれ意識的であれ推進し、その原発の成果を享受してきたのは、我々自身なのだ。原発事故に直面した途端に、被害者の顔をして、「脱原発」「反原発」、そして「原発なき日本の将来・未来」を語り始める軽薄な文化人の知的水準を見ていると、ある種の絶望と怒りを感じないわけにはいかない。
 私が、今、聞きたいのは、中沢新一のような能天気な被害者の仮面をかぶった「商業文化人」の声ではなく、原発を推進し、原発とともに歩んできたであろう、原子力村の御用学者と呼ばれた原子力科学者たちの声である。私は、彼等、「加害者」の声を聞きたい。彼等の中には、原子力や核開発という、人類が発見し、創造したもの、そしてやがて直面するであろう「存在の深淵」を覗き見た人たちがいるはずである。(続く)

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