文藝評論家=山崎行太郎の『 毒蛇山荘日記(1)』

文藝評論家=山崎行太郎の政治ブログ『毒蛇山荘日記1(1) 』です。

今日は雨降りだから「本屋さん」で「立ち読み」でもしようか・・・。というのは冗談だが、僕が、昨日、「諸君!」臨時増刊号を立ち読みしたと書いたところ、「立ち読み」とはけしからん。批評するならちゃんと買って読め、とメールを送ってきた馬鹿がいる。本や雑誌が出来上がるのに印刷や製本、その他の作業を行っている労働者たちのことも考えろ、ということらしい。本や雑誌を特別に過大評価し、神聖視するかのような、こういう反動的な言動を繰り返す時代錯誤的な馬鹿者がいるから本は売れなくなったのである。言うまでもなく本や雑誌だけが特殊


僕は嫌いだが、最近、頻繁に使われる「ビジネスモデル」という言葉がある。さしずめ本や雑誌の場合のビジネスモデルとは、本や雑誌を大量生産し、それを商品として書店の店頭で売る、そしてその売り上げから、材料費、人件費、原稿料・・・など必要経費を差し引いた分を利益として計上するというものだろう。このビジネスモデルが、インターネットの登場によって危機的状況に追い込まれつつあるというのが、今、進行中のメディア革命と言っていい。つまり、われわれは長い間、情報や知識、思想を、本や雑誌を「買う」ということで得ると思い込んでいたが、ネット社会の普及とともに、このビジネスモデルが崩れつつあるというわけだ。僕もそうだが、特に最近の若者たちの多くが本を買わないし、新聞も購読しない。テレビも見ない。要するに情報や知識、思想・・・をネットでタダで得ることが出来るからだ。しかも、紙を使用しない電子書籍の登場によって、本や雑誌はさらに深刻な状況に追い込まれつつある。むろん、書籍や雑誌がゼロになるわけではない。おそらく共存状態が続くだろう。しかし、中心が、書籍や雑誌から次第にネットや電子書籍の方向へ移行しつつある傾向は押しとどめることはできない。そういう時、「本を買う」「雑誌を買う」という習慣が減少していくことは否定できない。したがって、近頃の若者たちが「本を買わない」「雑誌を買わない」というのは、批判の言葉にはなりえない。新芥川賞作家・田中慎弥は、携帯もパソコンも持っていない、と自慢たらしく強調していたが、別に自慢するべきことでも、強調すべきことでもない。携帯もパソコンも持たないとか、チラシの裏に最初の原稿を書くとか、それ自体が、何年か、何十年前のモダニズムにすぎない。たとえば、「チラシの裏に最初の原稿を書く・・・」のは、どう見ても中上健次の模倣である。「携帯もパソコンも持たない」というのも、モダニズムの変種にすぎない。パソコンではなく、鉛筆や万年筆、ボールペンを・・・と言うこと自体が、ひねくれたモダニズム(流行)である。「本を買わない」「雑誌を買わない」という人間の登場は、一つの歴史的な自然過程であるにすぎない。



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