文藝評論家=山崎行太郎の『 毒蛇山荘日記(1)』

文藝評論家=山崎行太郎の政治ブログ『毒蛇山荘日記1(1) 』です。

小林よしのり氏の権威は、何故、失墜したのか。小林よしのり氏の沈没は自滅である。小林よしのり氏が、今、必死で論じている「女帝論」も「脱原発論」も、一種のプシュドープロブレム(疑似問題)であって、我々にとって緊急の問題ではない。小林よしのり氏は、擁護するにせよ批判・否定するにせよ、「小沢一郎論」「検察論」「裁判論」「マスコミ論」をこそ論ずべきであろうが、彼にはそこが見えていない。自滅は必然である。しかし、この自滅は名誉ある自滅であって、今、小林よしのり氏の迷走・自滅・失墜を笑っている者たちは「小林よしのり以下


久々に「SAPIO」を手に取って、ちょつと立ち読みしてみた。というのは、知り合いの某氏に、小林よしのり氏が、「will」の連載を中止するらしいよ、と教えられたからである。僕は、「will」も読まないので、小林よしのり氏の連載「本家ゴーマニズム宣言」が、そこで何を論じ、読者の反応がどうなっているのか、というようなことをまったく知らなかった。立ち読みしながら驚くほかはなかった。今、小林よしのり氏は、かって多くの読者やファンに囲まれ、わが世の春を謳歌していた頃とは異なり、今や、その多くの読者やファンは離れ、本の売れ行きも惨憺たる有様で、事務所を維持するのも困難なほどに落ち込んでいると言う。小林よしのり氏は、売れなくなったのは読者らに迎合せず、主義主張を曲げず、思想的一貫性を保持し続けているからだと言いたいらしいが、僕は、ちょっと違うだろうと思った。僕は、小林よしのり氏が、今、必死で論じているらしい「女帝論」にも「脱原発論」にもまったく興味がない。女系天皇支持であろうと男系天皇支持であろうと、僕は、今、天皇論を論じようとは思わない。脱原発論も同じである。通俗化され、あまりにも大衆的俗論に成り下がった脱原発論など、タレントの山本太郎氏にでも任せておけばいいことだろう。小林よしのり氏が「脱原発論」や「女帝論」などに必死になればなるほど、大衆の集合的無意識の構造からは浮き上がっていくのである。僕が、沖縄集団自決問題などを巡って小林よしのり氏と論争を繰り返していた頃は、小林よしのり氏の言説は、まだ大衆の集合的無意識の構造を幾分かは捉えていた。だからこそ、保守系文化人や保守系政治家たち、そして保守系読者たちが、小林よしのり氏を頼りにし、小林よしのり氏の周辺に集まっていたのである。そして同時に、外国のメディアからもインタビューを受けるなど、単に国内だけではなく、また単に保守論壇内部だけではなく、左翼の論客たちも競って小林よしのり氏を追いかけていたと言っていい。姜尚中の『ナショナリズム』でも、批判・論破の対象とはいえ、保守思想家の江藤淳三島由紀夫と並んで論じられていた。僕は、あのころは、論敵とはいえ、その意味で、小林よしのり氏の言説の強度と深さをそれなりに評価していた。しかし、やはり小林よしのり氏は、沖縄集団自決論争で馬脚を現し、自ら墓穴を掘ったのである。むろん、思想家にせよ文学者にせよ、あるいは漫画家にせよ、誰でも、本質的な思想家や文学者、漫画家であれば、いずれそういう日が来ることは避けられない。そこで、僕は、小林秀雄の言葉を思い出す。≪従って次のことはどんなに逆説めいて聞こえようと真実である。偉大な思想ほど亡び易い、と。亡びないものが、どうして蘇生する事が出来るか。亜流思想は亡び易いのではない。それは生れ出もしないのである。≫(小林秀雄ドストエフスキーの生活』) つまり、僕が、ここで言いたいのは、小林よしのり氏は「亜流思想家」ではなかったということである。小林よしのり氏の人気と影響力を頼りに小林よしのり氏に接近してきた西部邁氏等こそ亜流思想家だったと言わなければならない。





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