文藝評論家=山崎行太郎の『 毒蛇山荘日記(1)』

文藝評論家=山崎行太郎の政治ブログ『毒蛇山荘日記1(1) 』です。

明けましてお目出度う御座います。今年も宜しくお願いします。昨夜から歌人・岡井隆の『わが告白』を読み始めました。岡井氏は原発擁護派のようです。脱原発、反原発一色の世論の中、原発擁護論とは、賛否は別としても、一流の文学者らしい根性の持ち主と思います。

某新聞社の書評の依頼で、岡井隆の『わが告白』というエッセイ集を読んでいる。岡井氏は、もちろん、現代を代表する大歌人である。その大歌人が、何故、『わが告白』なのか。実はこの大歌人には、「二度の離婚、そして五年間の失踪、日本を代表する大歌人には語れざる過去があった。」そうなのだ。昔の私小説作家顔負けの波乱万丈な歴史の持ち主というわけである。しかし僕は、それらの告白以上に、岡井隆という大歌人の大地震やフクシマ原発問題に対する発言に興味を持った。いかにも文学者らしい、時流に流されない大胆、且つ本質的、個性的な発言の連続である。原発に対する賛否はともかくとして、世論に流されない原理的発言に接すると、この大歌人の作品のすべてが読みたくなってくる。岡井隆は、 かって、僕が若かった頃、寺山修司、春日井建・・・等と並び称された前衛歌人であった。しかし、その頃、僕の文学的関心の中心は現代詩にあり、たとえば田村隆一吉本隆明高野喜久雄、天澤退二郎などの詩作品は、熟読した記憶があるが、岡井隆という大歌人の作品は、ほとんど読んでいない。僕は、今、危機感を喪失している小説を中心とする現代文学に興味を失いつつあるが、それと同時に、何故だか自分でも分からないが、いわゆる日本の短詩系文芸に、たとえば一部の現代詩や現代短歌に興味を持ち始めている。たまたま、手にした岡井隆のエッセイ『わが告白』は刺激的で、挑発的ある。何が僕の精神を刺激し挑発するのか。おそらく、「文学と生活の一体化」がここにあるからではないか。それに対して、僕は、フクシマ原発騒動を茶化しただけの高橋源一郎の『恋する原発』のイロニーにまったく興味がない。(続く)


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■川辺峠から桜島錦江湾鹿児島市街を望見する元旦の朝。