文藝評論家=山崎行太郎の『 毒蛇山荘日記(1)』

文藝評論家=山崎行太郎の政治ブログ『毒蛇山荘日記1(1) 』です。

赤軍派元議長・塩見孝也氏との対話。マルクス・レーニン主義からスターリン・毛沢東主義へ。第一次赤軍派がマルクス・レーニン主義に徹していたのに、森恒夫等の第二次赤軍派「連合赤軍」はスターリン主義、毛沢東主義への傾斜があった。そこに「連合赤軍」の誤りがあった、と塩見さんは言う。



先日、雑誌『撃論』の企画する対談で、赤軍派議長として知られる塩見孝也さんに会い、いろいろ話を伺ってきた。塩見さんとの対談だがら当然、話は、連合赤軍や革命思想、ということになる。塩見さんは、獄中18年を経て、現役復帰したにもかかわらず、依然としてマルクスレーニンスターリン毛沢東・・・を延々と語り続けた。マルクスレーニンスターリン毛沢東・・・というような哲学者や革命家の名前は、今の若い人たちには、それほど馴染みがないかもしれないが、こういう名前を、誰もが口にし、誰もが熱心に議論していた時代があった。僕が大学生だった頃である。僕は、小林秀雄江藤淳等、保守思想家たちの影響を強く受けていたから、その頃は政治的には「保守反動派」を気取り、中途半端な人畜無害のデモやゲバ棒を振り回すだけの左翼学生や左翼思想が好きではなかっただけではなく、彼らを激しく軽蔑し、むしろ批判的、冷笑的に見ていた。しかし、「武装蜂起」や「世界戦争」を唱え、「国際根拠地論」や「世界同時革命」を主張する赤軍派は別だった。中途半端な人畜無害のデモやゲバ棒を振り回すだけの左翼学生や左翼思想と決別し、武装闘争に踏み出した(ドストエフスキー的な「踏み越え」)、その過激な行動性が好きだったのである。その過激な武装闘争を一貫して指導していたのが塩見孝也である。塩見さんは、デモやゲ棒を振り回すだけの小市民主義的なブント関東派と路線闘争の末、ブント関西派を中軸に、前段階武装蜂起という軍事路線を主張する「共産主義者同盟赤軍派」を結成し、議長におさまった。塩見さんは、赤軍派の精鋭部隊による武装蜂起、つまり首相官邸占拠を目指したが、大菩薩峠に兵士を終結させ、軍事訓練の途中で全員逮捕されるという、いわゆる大菩薩事件という大失策を経て、その後、ハイジャック闘争(フェニックス作戦)に作戦を切り替えたが、実行の直前に逮捕される。そして獄中18年を経て現役復帰するわけだが、その間、自己批判もせず、挫折もせず、つまり転向もしていない。いまだに革命の情熱に燃えている。僕は、保守派のつもりだが、世渡り上手な、健全な、銭勘定にばかり熱心な、くだらない保守派より、こういう根性のある、何事があろうと初志を曲げず、決して体制派に転向しようとしない愚直な「革命家」が好きだ。実は、そこに、僕が若い時から敬愛する小林秀雄三島由紀夫江藤淳等が命懸けで実践した芸術革命、保守革命と相通じる「過激なる精神」があると僕は考える。学生時代はマルクスや革命を叫びながら、卒業するやいなや、あっさり反省・転向し、大会社や大学に就職し、あるいは同時に人畜無害な保守思想家に変身するというような、要領のいい俗物どもの唱える保守思想や保守主義が嫌いである。そこには、いわゆる過激なる精神がない。大杉栄は「僕は精神が好きだ」と言ったが、大杉の言う「精神」が、左翼であれ右翼であれ、芸術や思想に不可欠な過激なる精神であることは言うまでもない。(続く)



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