文藝評論家=山崎行太郎の『 毒蛇山荘日記(1)』

文藝評論家=山崎行太郎の政治ブログ『毒蛇山荘日記1(1) 』です。

深層心理学や精神分析、集合的無意識論、あるいは単純に無意識の心理学。そういったものに関心があった。政治や思想、文学、芸術を語るのにもそれは欠かせないものだった。しかし、現在、日本で流行るものは・・・。

深層心理学精神分析集合的無意識論、あるいは単純に無意識の心理学。そういったものに関心があった。政治や思想、文学、芸術を語るのにもそれは欠かせないものだった。たとえば小林秀雄福田恒存は、人間の心理、つまり善意や正義の欺瞞性を激しく追及した。それが健康的な、健全な、そして善意に満ち溢れた「左翼思想」と異なるところだった。しかし、小林秀雄福田恒存が去り、三島由紀夫江藤淳が消えた頃から、人間の深層心理や集合的無意識を追及する文学者や思想家はいなくなった。たしかにフロイトジャック・ラカンを熱心に語る人は少なくない。しかし、柄谷行人がそうであるように、ひとたび現実の実践行動となると、途端に善意と正義の人となり、「善意の人」の欺瞞性や、「正義の人」の深層心理に隠蔽された狂気の存在を追求しようとはしない。「地獄への道は善意の敷石で敷き詰められている」という人口に膾炙した有名な言葉がある。もちろん皮肉と逆説の言葉である。しかしこの言葉の意味するものは浅くない。今日、政府や東電を批判し、放射能の危険性を警告、フクシマの子供のたち命を守れ、とデモに熱狂する人たちの善意は尊い。しかし善意の深層心理も善人の深層心理もそんなに単純であるはずはない。反原発デモに熱狂する六万人の「善意」は沖縄の反基地デモ、反原発デモに集まった二百人の「善意」と同じではない。善意はしばしば狂気=凶器に摩り替る。放射能に敏感な人たちの善意が、六万人の反原発デモとなると同時に、「フクシマ差別」の主体ともなる。六万人の善意が、「フクシマ産の農産物は放射能に汚染されて危険だ」「フクシマ産の牛乳が都内の学校給食に紛れ込んでいる」「フクシマ産の農産物を都市部に持ち込むな」「子供たちにフクシマ産の牛乳を飲ませるな」・・・という類の「悪意」へと転化しないという保証はない。現にそういう騒動が起きている。日本の何処かでは、フクシマ産の花火が、放射能の危険性があるということで中止されたという。フクシマのキャンプ場は、放射能汚染度は、ほぼ都心並みと宣伝したにもかかわらず今年はほぼゼロ状態だったらしい。泣くに泣けない悲喜劇である。玄場外相は、国連でこんなあいさつをしたらしい。

福島出身と自己紹介の玄葉外相、被災地現状訴え
 【ニューヨーク=石田浩之】玄葉外相は22日(日本時間22日)、ニューヨーク市の国連本部で開かれた原子力安全に関する首脳級会合の分科会で共同議長を務め、自らが福島県出身であると自己紹介し、「被災地の人々は、安全が確認された農産品や水産品が排斥され、安全な観光地まで敬遠されていることを深く悲しんでいる。風評被害によって復興が阻まれている」と、被災地の現状を訴えた。(2011年9月23日22時04分 読売新聞)

フクシマ差別が、単に風評被害という言葉で言い表せるものではないことは言うまでもない。そこには、もっと複雑で、難解な心理学的な背景がある。本人たちは決してフクシマやフクシマの農産物を差別したり、排斥したりしているつもりはない。まして風評被害をもたらすような意図はない。彼らは自分たちの善意を疑っていない。フクシマの人たちが可愛そうだ、フクシマの人たちを助けてやろう、応援しあげようと思っているはずだ。しかし、その善意が、皮肉なことに「フクシマ差別」の元凶となってしまっているのだ。

放射能漏れ】
「汚染農産物持ち込むな」 花火、ショップ出店…相次ぐ中止 心ない「風評」拡散
2011.9.24 11:31 (産経ニュース)


 花火大会や送り火、ショップ出店…。東日本大震災の被災地を応援しようと企画されたイベントが「放射能が拡散する」と懸念する住民の声を受け、中止されるケースが相次いでいる。住民の不安に応えることが、被災地への心ない仕打ちにつながる場面も出ているだけに、首長らも頭を痛める。放射線に対する正しい理解に基づく冷静な対応が求められている。
何が正しいのか…
 「正直何が正しかったのかいまだに分からない」。福島県産の花火の打ち上げを中止した愛知県日進市の萩野幸三市長が22日、花火店などへの謝罪後、報道陣に向けて吐露した言葉だ。
 問題は18日夜、同市で行われた「にっしん夢まつり・夢花火」で起きた。復興を支援しようと、被災3県の花火を含め計2千発の打ち上げを予定していたが、市民から「汚染された花火を持ち込むのか」などとクレームが相次いだ。
 市や商工会でつくる実行委員会は福島の花火を打ち上げないことを決め、福島県川俣町の煙火店が作った80発を、愛知県内で製造された別の花火に差し替えた。
 市民からのクレームが約20件だったのに対し、中止後に全国から寄せられた苦情は約3500件。「市民が不安を感じる状況で打ち上げは難しい」としていた萩野市長も、「新たな風評被害への心労を招いた」と謝罪に追い込まれた。
 8月に京都市で行われた「五山送り火」でも同種の問題が起きた。震災の津波でなぎ倒された岩手県陸前高田市の国の名勝「高田松原」の松で作ったまきを燃やす計画が「放射能汚染が心配」などとする市民の声を受け二転三転したあげく中止となった。

一部の原子力工学の専門家や放射能研究者たちのヒステリックな言説、あるいはマスコミの煽りに惑わされたのかもしれないとはいえ、放射能とその危険性に過剰なほどに過敏に反応する人たちの善意や正義を疑うものではない。しかし、その善意と正義が、「両刃の剣」として、フクシマや東北地方にそのまま突き刺ささっていくのだということもまた現実なのだ。おそらく、この世に放射能ゼロの場所など存在しないし、発がん性ゼロの食品や水など存在しない。あまりにも清潔な、純粋なものを求めるあまり、無意識のうちに我々は、地獄への階段を一歩一歩、登っているのかもしれない。「地獄への道は善意の石で敷き詰められている。」(続く)


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