文藝評論家=山崎行太郎の『 毒蛇山荘日記(1)』

文藝評論家=山崎行太郎の政治ブログ『毒蛇山荘日記1(1) 』です。

市民運動家・矢野健一郎さんは痴漢冤罪逮捕事件から、どのようにして生還したか?

ある市民運動家の痴漢冤罪逮捕事件が話題になっている。調べてみると、ある市民運動家とは、なんと矢野健一郎さんだった。矢野さんは、昨年10月、僕も、生まれて初めて参加したデモ、つまり「小沢一郎支援デモ」「検察批判デモ」の仕掛け人であり、責任者だった。ハンドマイクを片手に、デモの先頭に立って、デモをリードしていた人である。もちろん、その時点では、僕は面識はなかったが、その後、豊島公会堂で開かれた「小沢一郎支援集会」で再会し、大学の後輩の仲介で、名刺交換し、挨拶した。僕は、その後の矢野さんの活動の動向や政治思想的立場の変遷など、詳しくは知らないが、矢野さんは、市民運動家として活動してきた模様である。いずれにしろ、面識のある矢野さんがチカン冤罪で逮捕されていたということを知った時、「そこまでやるのか」というわけで、ちょっと恐怖のようなものを覚えた。さてそのチカン冤罪逮捕事件の模様を、「田中龍作ジャーナル」が、詳しく伝えているので、参考になるかどうか分からないが、引用しておきたい。

「田中龍作ジャーナル」より
【チカン冤罪】 市民運動家はこうして逮捕された〜実名報道ー2011年9月15日 01:29
「この辺りに降ろされた」と“事件当時”を振り返る矢野さん。(京王線千歳烏山駅・八王子方面ホーム。写真:筆者撮影)



 サイバー時代の治安維持法と言われる「PC監視法」勉強会からの帰り道、“事件”は起きた。矢野健一郎さん(実名=有機農産品販売業・43歳)は、「脱原発デモ」や「記者クラブ解体デモ」などでリーダー役を務める熱心な市民運動家だ。PC監視法案の成立が目前に迫る6月、法案に反対して国会前で座り込む矢野さんの姿があった。

 座り込みの余韻も冷めやらぬ6月15日夕、渋谷の道玄坂を登り切った所にある出版社の会議室で「PC監視法」の勉強会は開かれた。

 2時間ほどの勉強会がお開きとなった後、矢野さんは勉強会参加者と共に近くの居酒屋『天狗』の暖簾をくぐった。日本酒2合、チューハイ3杯、ワイン1杯を飲んだ。矢野さんは飲み足りず、井の頭線ガード下の焼き鳥屋へ。チューハイ2杯を口にした。酒豪で鳴る矢野さんにとっては適量未満である。意識もはっきりしていた。

 焼き鳥屋を出ると井の頭線に乗り帰路についた。明大前で京王線に乗り換える。八王子方面に向かう列車で、矢野さんが乗ったのは先頭から3両目の車両だ。車内はやや混雑していたため、矢野さんは立っていた。

 列車が千歳烏山駅にさしかかる時だった。矢野さんは20代後半の女性に後ろからいきなり腕をつかまれた。「アンタ、触ったでしょ」、女性は車内に響き渡るような声をあげた。

 矢野さんは腕をつかまれたまま、千歳烏山駅のホームに降ろされた。列車を降りるや、女性は「この人チカンです」とよく通る声で告げた。数秒もしないうちに男3人、女1人(腕をつかんだ女性除く)が矢野さんを取り囲んだ。

 ひとりの男が「どうしました?」とわざとらしく尋ねた。別の男が駅員を呼びに走った。駆け付けた駅員は「事務所に行きましょう」。事務所に行ったらお終い、と知っていた矢野さんは拒否。

 駅員が女性に「警察を呼びましょうか?」と聞くと、女性は「呼んで下さい」と用意していたかのように間髪を入れずに答えた。10分後に警視庁のパトカー2台が到着。矢野さんの戦いが始まった……。
 パトカーが到着し、6〜7人の警察官が駅のホームに着いた。私服警察官が「事情を聞かせろ」といきなり迫った。「なぜ?」と矢野さん。ホーム上で押し問答が約20分間続いた。

 平行線が続いたところで私服が「任意同行で事情を聞かせて下さい」とダメを押し、矢野さんはパトカーに乗せられ成城警察署に連行された。時計は12時を回っていた。

 署に着くと取り調べ室に。警察官が矢野さんの肩を小突き「入れ」。取り調べ室は広さ4畳半ほどだった。本田と名乗る刑事(階級は巡査)が「お前はもう逮捕されてるんだ」と告げた。

 矢野さんは「じゃあ逮捕状とれ」と言い返したが、逮捕状執行の宣言もないまま手錠をはめられた。「やっただろ」「やってない」。本田刑事と矢野さんとの攻防が4時間ほどあった。午前5時、矢野さんは留置場に移された。夜も白みはじめていた。

 「救援センター」の弁護士に連絡がついたのは午前9時30分。弁護士が矢野さんと接見できたのは午後4時だった。矢野さんが成城署に連行されて16時間が過ぎていた。

 弁護士は「何日か留置されるだろう。全くの黙秘でなく事実だけ話して下さい」と矢野さんにアドバイスした。

 翌17日、矢野さんは東京地検に送られた。取り調べたのは山本剛検事。山本検事は「警察調書の通りですか?」と聴いてきた。「私は何もしていませんので、すぐに釈放して下さい」、矢野さんは即座に答えた。

 検事:「一応、被害届が出ていますので、(裁判所に)拘留申請をします。もし釈放されても呼び出しには応じてくれますか?(それにしても)あなたの不注意だった」。

 矢野さん:「じゃあ、あなたは車内でどうしてるんですか?」。

 検事:「僕はリュックサックをしょって必ず両手を上にあげている」。

 漫画のようなやりとりだった。夕方、成城署に戻った。

 翌18日、拘留尋問のため東京地裁へ。

 裁判官が「検事調書の通りでよろしいですか?」と聴いてきた。調書は「容疑否認」となっていたので、矢野さんは「大体その通りですが、すぐに釈放して下さい」と答えた。

 裁判官が矢野さんに次のように要請した。「誓約書に署名して下さい。『事件が終わるまで京王線には乗らない。裁判所、検察、警察から呼び出しがあったら応じる』」。

 裁判官は続けた。「署名してくれれば検事からの拘留請求を却下します」。裁判所が拘留を認めなければ、検察は容疑者の身柄を拘束できない。

 矢野さんは署名した。午後3時過ぎ、弁護士が裁判官に掛け合った。釈放が決定する。午後9時過ぎ、矢野さんは晴れて自由の身となった。成城警察署に連行されて以来、3泊4日の留置場暮らしだった。

 7月末には不起訴が決まった。6月18日に釈放されて以来、警察、検察、裁判所からの呼び出しはなかった。身に覚えのない「チカン冤罪事件」の幕切れだ。

 「脱原発デモ」「PC監視法案反対の座り込み」「記者クラブ解体デモ」……リーダーの矢野さんは、体制側にとって目障りな存在だ。京王線の電車の中でチカン冤罪に嵌めようとしたのは公安警察なのか。それとも単なる示談金目当てのグループだったのか。

 拘留尋問にあたった山本検事の言葉が、今も矢野さんの頭に残っている。「どうして女性はあなたの手をつかんだと思いますか?最初からあなたを犯人に仕立てあげようとしたのか、(真犯人と)間違ってあなたの手を握った可能性もあります」。

 拙稿の前編でも述べたが、女性が声をあげると数秒もしないうちに男4人と女1人が矢野さんを取り囲んだ。痴漢冤罪に嵌めるのに不可欠な実行グループの連携プレーだ。

 警察に「認めたら帰してやるから」とそそのかされて、認めてしまったらお終いだ。会社員や公務員は表沙汰にしたくない一心で、つい認めてしまう。矢野さんは自営業者だったので、最後まで突っぱねることができた。

 チカン冤罪は、誰もが嵌められかねない。身に覚えがなかったら断固として否認を続けることである。

 嵌められないためにはどうするべきか。先ず、酒を飲んだら電車に乗らないことだ。動きが鈍くなるし警戒感も薄れる。嵌めやすくなるのである。もうひとつ山本検事が励行しているように、車内では必ず両手を上げることだ。

 事件以降、矢野さんは酒を飲んだ時はサウナに泊まるか、タクシーで帰宅することにしている。「飲んだら乗るな。乗るなら飲むな」である。


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