文藝評論家=山崎行太郎の『 毒蛇山荘日記(1)』

文藝評論家=山崎行太郎の政治ブログ『毒蛇山荘日記1(1) 』です。

終戦記念日について。

僕には終戦記念日について何か特別な経験も想い出もない。むしろ「お盆」や先祖の墓参りの感覚が強い。僕が、今、住んでいるところは、市町村 合併の関係で知覧特攻隊基地跡を含む南九州市に属しているが、たとえば、その知覧特攻隊基地跡についての記憶も、特別に「8・15」につながってはいない。知覧特攻隊基地跡は,戦後、長い間、放置されていたのではないか。高度経済成長の前後から、現在のような特攻記念館や特攻観音などが整備され始めたのでないだろうか。僕が記憶しているかぎり、グランドがあり、今頃の季節になると、そこで中学生が野球大会を開いたりしていた。周りはほとんどサツマイモ畑だった。まだ特攻隊基地の保存や特攻隊員たちの弔い、あるいは遺品整理などを考える余裕がなかったのだろう。少くとも、知覧特攻隊基地跡についての関心は、高校を卒業し、大学を卒業するまで、すぐ近くであるにもかかわらず、なかった。むしろ、嫌いであり、忌避してきた。正直に言わせてもらうと、ヒロシマもチランも、おなじである。反戦平和主義のシンボルとして作られている。ヒロシマナガサキと、知覧が大きく違うところは、ヒロシマナガサキに比べて、知覧は「被害者」の視点が少ないことである。言い換えると、知覧の記念館の設立の意図とは関係なく、特攻隊員の展示された写真や遺品が、何かを物語るところだろう。そこから伝わってくるものは、「もう戦争は懲り懲りだ」「やはり平和が一番だ」という反戦平和主義のメッセージではなく、「我々は、かく戦った。後に続く者を信ずる」というメッセージのような気がする。おそらくNHKなどの終戦記念日特集の関連で、毎年、ヒロシマナガサキは定番として大きく取り上げられるの対して、知覧特攻記念館がほとんど無視されているのは、そこに理由がある。したがって、僕が知覧に関心を持ち始めたのは、つい最近である。知覧の記念館もヒロシマナガサキと同じじゃないかと思っていたが、さいきん、その違いに気が付いたからだ。このところ、ラジオを聞く機会が多い。すると、NHKを中心に終戦記念日に向けての特集番組が多いのに気がついた。むろん、この種の番組には特定のイデオロギーがあり、それが、「いかにも」という印象なのだ。僕は、すぐにスイイチを切りたくなるが、今は、興味本位もあって、我慢して聞いているが、いかにももともらしい戦争被害者たちの体験談のオンパレードである。「もういいよ」と思うが、我慢して聞くことにしている。良かれ悪しかれ、そこに現代の日本人がいる。つくずく日本人であることが嫌になる瞬間だが、ここから出発するしかない。(続く)

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