文藝評論家=山崎行太郎の『 毒蛇山荘日記(1)』

文藝評論家=山崎行太郎の政治ブログ『毒蛇山荘日記1(1) 』です。

昨日は、池袋東武屋上のビアガーデンで、飲み放題のビールを飲みながら、熱く政治を語った。結論は、「国民はその国民にふさわしい政治家(政治)しか持ちえない。」(マックス・ウェーバー)と。


昨日は、池袋東武屋上のビアガーデンで、飲み放題のビールを飲みながら、時間延長までし、熱く政治を語った。結論は、「国民はその国民にふさわしい政治家(政治)しか持ちえない。」(マックス・ウェーバー)ということ。国民からだけではなく、民主党内部の仲間達からも辞任勧告を突きつけられても、地位にしがみつく菅直人首相の無様な姿は、まさに我々日本国民の「自画像」なのだ。つまり、政治家が堕落する前に、政治評論家や政治ジャーナリストを筆頭に日本国民が堕落しているのだ。一年前は沖縄県普天間問題に熱中していた大多数の国民が、沖縄問題などすっかり忘れたかのように、今は、「大震災」や「原発」に熱狂している。沖縄問題や原発問題に熱狂的に取り組むのもいい。しかし、もう少し、「持続する志」があってもいいのでないか。その意味で、長年、「反核」、「反原子力」を唱え続けてきた大江健三郎を、あらためて、僕は尊敬しないわけにはいかない。本屋には、粗製濫造というしかないお粗末な「反原発本」とその類書が、所狭しと並んでいるが、しかしそこに、大江健三郎の、たとえば『核時代の想像力』という本などはない。殆どは安っぽい解説書か入門書である。書いてあることは、新聞記事の断片をかき集めたようなものばかりである。現在の日本人の「読書能力」がどの程度のものかを暗示している。かつて、三島由紀夫自決事件の直後、当時としては唯一とも言うべき本格的な三島論であった『殉教の美学』を、素早く絶版にした磯田光一の例が思い出される。一時的な熱狂に踊らされる出版ジャーナリズムのスキャンダリズムの渦に飲み込まれ、流されることを潔しとしなかったのであろう。その後、磯田光一という名前は、忘れられようとしているが、僕は、生きている限り、三島事件直後、三島論『殉教の美学』を絶版にした男がいたことを、決して忘れない。現在、本屋の店頭に並んでいる粗製濫造の「反原発本」、「反核本」の類は、一年もしないうちに古本屋の店頭の百円コーナーに並んでいるはずである。それとも裁断され、焼却処分か。その頃は、また別の「事件」と「問題」に熱狂していることだろう。坂口安吾ならずとも、「生きよ、堕ちよ」「徹底して堕ちるところまで堕ちてみよ」とでもいうしかない。と、こう書くと必ず、お前は自分のことは棚上げにして、上から目線で、日本人や日本国民を批判するのか、と問いかけてくる馬鹿がいるが、僕は、自分を高見においているわけでもなく、また日本人を馬鹿にしているわけでもなく、ただ単に事実を指摘しているだけである。僕も日本人であり、日本国民である。「国民は黙って事変に処した・・・」と小林秀雄は言ったが、そういう国民がまったくいなくなったわけではなかろうが、しかし、少なくなっただろうことは確かだ。(続く)


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