文藝評論家=山崎行太郎の『 毒蛇山荘日記(1)』

文藝評論家=山崎行太郎の政治ブログ『毒蛇山荘日記1(1) 』です。

サンデルの政治哲学に哲学はあるか?

最近、政治哲学というものが流行っているらしいが、その流行に貢献しているものの一人が、テレビでもお馴染みのサンデル、ハーバード大学教授であることは、誰も否定しないであろう。書店の店頭には、サンデル本とも言うべき本が無数に並んでいるし、テレビでもしばしば、講義風景などが取り上げられている。ところが、僕は政治哲学には興味があるが、サンデルにはまったく興味がない。先ずその顔や表情、そしてソクラテスの「産婆術」やプラトンの「対話編」にヒントを得たらしい講義スタイルが嫌いである。サンデル講義スタイルはソクラテスプラトンとは似てはいるが、まったく別物である。柄谷行人的に言えば、モノローグであってダイアローグではない。というわけで、何故、アメリカや日本で持て囃されているのか、理解できない。そのサンデルが、今度は、新聞や週刊誌、あるいは論壇雑誌ならともかく、こともあろうに、文芸誌(「文学界」)に登場しているから驚きである。これは、換言すれば、現在の文芸誌の思想的レベルが、どういうレベルにあるかを象徴している。つまり、僕が、サンデルの政治哲学に興味がないのは、サンデルの思考が深くないからである。サンデルの思考に哲学的思考が欠如しているからである。たとえばサンデルは、「文学界」のインタビューで、ビンラディン殺害について、同じ「殺す」にしても「裁判」をして、その罪状を明らかにしてから、「殺す」べきだったというようなことを言っている。ということは、サンデルの論理によれば、アメリカ政府によるビンラディン殺害それ自体は、正当であり、正義だということになる。ただ殺し方が悪かったと言うわけである。無論、僕は、ビンラディン殺害が悪い事だとか、いかなる理由があろうとも殺人自体が悪だとか言いたいわけではない。アメリカ政府が、つまりオバマビンラディン殺害を決行したことを批判したいわけではない。問題はそこにはない。問題は、ビンラディン殺害を正当化するために、無理矢理に構築された「正義」の論理にある。おそらくサンデルは、この世界には、「正義」や「悪」が、それ自体として、存在すると考えているのだろう。僕が、サンデルの論理に違和感を禁じ得ない理由は、そこにある。サンデルの思想的立場は、個人の自由に重きを置くジョン・ロールズ的「正義論」派に対して、個人よりも共同体や国家を重視する「コミュニタリズム(共同体主義)」と言うものらしい。そしてアフガン戦争やイラク戦争には批判的と言いながらも、アメリカ政府ともかなり親しい関係にあるらしい。つまり、サンデル政治哲学は、本質的には、アメリカ政府を擁護する哲学らしい。僕は、政府を擁護しようと批判しようと構わないと思うが、サンデルの論理は、思想的に浅すぎると言わざるを得ない。誤解を恐れずに言うならば、おそらく、日本のマスコミに棲息する「政治評論家」の言説のレベルと変わらない。
(続く)


(続きは、『思想家・山崎行太郎のすべて』が分かる!!!有料メールマガジン『週刊・山崎行太郎』(月500円)でお読みください。登録はコチラから、http://www.mag2.com/m/0001151310.html

人気ブログランキングへにほんブログ村 政治ブロへ