文藝評論家=山崎行太郎の『 毒蛇山荘日記(1)』

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本日の東京新聞に、山川方夫著『目的をもたない意志』(清流出版)の「書評」が掲載されます。

dokuhebiniki2011-04-10


山川方夫という作家がいた。知る人ぞ知る作家だが、僕にとっては忘れられない、かけがえのない重要な作家である。僕は、鹿児島の某高校三年の時、その頃、文学や思想、哲学などに関心を持ち始めたのだが、鹿児島の繁華街・天文館にある某書店で偶然に買った「文学界」という文芸雑誌で「煙突」という作品を読んだ。それは、学校の屋上で、一人で、壁を相手にキャッチボールする少年と、突然、屋上の煙突に上り始める同級生の少年との話で、孤独な高校生にとって、なんとなく共感できる印象的な小説だったが、その「煙突」の作者が山川方夫だった。しかし、山川方夫は、その直後に交通事故で死んでいる。その後、僕は慶応の文学部に進学するが、そこで手にした「三田文学」は、偶然にも「山川方夫追悼号」だった。僕は、すでに江藤淳を読んでいたので、「三田文学」の話などはかなり詳しく知っていたが、山川方夫がその「三田文学」の中興の祖であり、その後、僕も後輩として親しく交わることになる江藤淳坂上弘のような文学者たちの「生みの親」であるとは想像もしていないことであったので、正直のところ驚くほかはなかった。その頃、僕は大江健三郎江藤淳の影響もあって、フランスの哲学者で作家のサルトルを読んでいた。そして大学では、「実存は本質に先立つ」というサルトルの哲学と思想を勉強しようと思っていた。ところが、山川方夫慶應の仏文科でサルトルを専攻し、卒論はサルトル論だったという。山川方夫は、すでに「三田文学」の編集に深くかかわっており、かたわら大学院へと進み、学問への道も目指していたが、やはり作家への道は捨てがたかったらしく、大学院の方は中退している。その頃のことは、山川方夫によって見出され、当時、衝撃的なデビューを果たし、売出し中の大江健三郎石原慎太郎等と共に、「怒れる若者たち」の一人として社会的に注目を浴びていた文藝評論家・江藤淳の回想録「山川方夫と私」で知ることが出来る。さて、山川方夫には二つの顔がある。編集者としての山川方夫と作家としての山川方夫である。山川方夫は、作家としても、「日々の死」「夏の葬列」「海岸公園」等、それなりに重要な作品を残しているが、それと同じか、あるいはそれ以上に編集者としの山川方夫は、文学的に重要な役割を果たしている。これは文学史上でも特筆してよい事実である。つまり、まだ無名の学生であった江藤淳坂上弘、あるいは曽野綾子等を、次々と世に送り出した編集者が山川方夫なのである。したがって、僕は、山川方夫の「評伝」(「すばる」一挙掲載)を書くと同時に、集英社文庫で二冊の短編集文庫本を編集している。これだけ深くかかわった作家は山川方夫以外にはない。さて、今回、書評することになった「目的をもたない意志」は、山川方夫のエッセイを一冊にまとめたものである。山川方夫にとって、「目的をもたない…」とは、実存が本質(目的)に先立つということである。(続く)

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■僕が編集し、少し長い解説と年譜を加えた二冊の「山川方夫の文庫本」(集英社文庫)