文藝評論家=山崎行太郎の『 毒蛇山荘日記(1)』

文藝評論家=山崎行太郎の政治ブログ『毒蛇山荘日記1(1) 』です。

「にんげんの底からの革命」とは何か?

東北大地震が暴露したのは、被災者や被災地への有効な救助・救援活動を手早く実行できない政治家や政治の貧困、ボランティアを食い物にしているらしい自称ボランティア学者やボランティア専門家たちの「被災地には許可が出るまで行くな」「モノよりカネを送れ」というような無知無能ぶり、スポーツ選手や芸能人たちの売名行為的ともいうべき軽薄な、メロドラマ的「日本、頑張れ」発言、原発事故をめぐる東大教授たちを筆頭とする日本の科学者たちの御用学者的発言と迷走…等、いろいろあるだろうが、僕がもっとも関心を持つもので言うと、日本の現在の思想状況の貧困という現実だった。たとえば、その一例だが、昨日、このブログで政治ジャーナリスト某が、いつのまにか「原発ジャーナリスト」に変身しているという喜劇的な言論状況について触れたところ、早速、嫌がらせのコメントやメールを、多数、いただいたが、おまけに「阿修羅掲示板」に僕の記事が再録されたらしく、次々と批判・罵倒されているというから面白い。かつて「小林よしのり」という漫画家を熱狂的に支持し、声援を送ったのは、日本の保守論壇や保守思想家たちだったが、その保守論壇や保守思想家たちを批判し、文字通り「小林よしのり」的な言論状況を批判的に乗り越えているはずの者たちが、またまた新しい「小林よしのり的ピエロ」に群がり、拍手喝采しようとしているのだから、日本の思想状況は何も変わっていないというべきかもしれない。僕は、「小沢一郎擁護論」「小沢一郎待望論」という政治的立場の共通性だけで、全員一致した言動を取らなければならないとは考えない。政治や思想を語るのに、様々な異論や反論があるのは当然であり、むしろそれは政治や思想の活性化、再生にとっては歓迎すべきことだろう。小沢一郎に関していうと、僕は、小沢一郎がマスコミからの過激な総批判に耐えきれなくなったのかどうか知らないが、「反マスコミ」「反記者クラブ」を標榜する「自由報道協会」とかいう政治ジャーナリズムの「負け犬の遠吠え」グループに深入りし、何回もインタビューに応じ始めたところに、小沢一郎の「弱さ」が露呈したと見ている。小沢一郎は、マスコミの悪評などものともせずに、あくまでも権力奪還を目指す政治的な権力闘争に邁進してきた政治家だった。しかし、マスコミではなく、「反マスコミ」を標榜する負け犬グループに担ぎ上げられ、そして小沢一郎自身も進んでそれと共闘した時点で、思想的には「正義」や「倫理」の人ではあるが、政治的には永遠に負け犬のままで終わるという「左翼的、反体制」的な倫理主義的政治家に堕落した、と僕は見た。数少ない「小沢一郎擁護論者」であった文藝評論家の江藤淳が、小沢一郎という政治家に期待したのは、安っぽい「正義」や「倫理」は語らないが、権力や実権は決して手放さない、少なくとも権力奪取への野心は捨てない、いわゆる「治者としての政治家」だったはずである。換言すれば、江藤淳が最も嫌ったのは、「負け犬」同士の傷の舐め合いだったはずである。つまり、これは、小沢一郎が、論壇やマスコミの「負け犬グループ」の支持や声援を期待し、彼らと共闘している限り、永遠の負け犬であり、権力奪還など到底無理だろうといことだ。政治家は、マスコミにしろ反マスコミにしろ、民衆の「スター」や「善玉」になったらおしまいなのである。「民衆をもっとも愛した君は、民衆をもっとも軽蔑した君だ」(芥川龍之介)…ということでなければならない。さて、太宰治に「かくめい(革命)」という短編小説がある。実際は短編小説というより小説的断片というようなものだが、これがなかなかおもしろい。短いものなので全文を引用してみる。

「かくめい」
太宰治

じぶんで、したことは、そのように、はっきり言わなければ、かくめいも何も、おこなわれません。じぶんで、そうしても、他におこないをしたく思って、にんげんは、こうしなければならぬ、などとおっしゃっているうちは、にんげんの底からの革命が、いつまでも、できないのです。
   

太宰治という作家を知らない日本人はいないだろう。しかし、太宰治と言う作家が、かなり手ごわい思想家でもあったということはあまり知られていない。つまり、一般的には、太宰治なんて、せいぜい「女、子供」が熱狂的に読むものだろう、というのが常識である。言うまでもなく、太宰治青森県生まれで、弘前高校を卒業し、東大仏文科に進学、やがて井伏鱒二佐藤春夫等に師事して作家となった。作家以前の太宰治弘前高校時代から「共産主義」に傾倒していたこともあって、転向後は、政治や思想についてはあまり多くを語らなかったが、しかし政治や思想と無縁に「文学」に熱中していたわけではない。太宰治が作家として活躍したのは、ほぼ「戦時中」と言っていいが、しかし、多くの作家や思想家たちが「日本の国家的危機」や「国難」を熱意を込めて語っていた時期に、太宰治は、戦争に背を向けたままだった。太宰治が、戦後の22年に発表した短編小説に「トカトントン」という名作があるが、そこで、戦後の復興ブームに沸く日本と日本人をあざ笑うかのように、元気のいい、威勢のいい話が始まると、途端に、何処からか「トカトントン」という釘を打つ音が聞こえてきて、その音を聞くと急激にやる気をなくし、絶望的な無気力状態になる男の話を書いている。太宰治は翌年の23年に心中したわけだが、実は、太宰治は戦時中は戦争に熱中することもなく、また多くの作家や文化人がした満州旅行などにも誘われたが参加せず、そして逆に戦後になっても、威勢のいい復興ブームや戦後民主主義ブームに乗ることもなく、さっさとこの世におさらばした。太宰治の文学が普遍的なのは、「女、子供」に愛されているからではなく、その徹底的な反時代性にあるのだ。つまり太宰治の文学は、時代の風潮や流行思想に安易に飛びつき、付和雷同する日本人への厳しい批判と批評の「まなざし」に貫かれている。いわゆるマスコミの報道にも嘘と自己欺瞞があるが、反マスコミ、フリージャーナリストの言論にも嘘と自己欺瞞がある。(続く)
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