文藝評論家=山崎行太郎の『 毒蛇山荘日記(1)』

文藝評論家=山崎行太郎の政治ブログ『毒蛇山荘日記1(1) 』です。

何故、マスコミも野党も政権批判を「自粛」するのか?

天災から人災へ、日本の迷走は止めようがない。「日本の…」と言っても「日本政府の…」、あるいはもっと正確に「菅政権の…」と言い直すべきだろう。東北大震災の直後、マスコミには、日本人の道徳感の高さ、秩序正しい行動、防震対策の完備、耐震構造等を賛美、絶賛する外国からの情報が溢れたが、あれは何だったのか。何故、あの時点で、日本人の美徳を自画自賛する前に、いち早く政府、行政等による緊急災害対策と緊急出動の要請や要望を叫ばなかったのか。ところで、「天災」は防ぎようがないが、「人災」は国民の英智によって防ぐことも可能だ。僕が、尊敬出来る数少ない現役思想家の一人・佐藤優は、「月刊日本」で、この国家的危機に際して「翼賛体制を築け」と、いち早く提言している。僕も全く同感である。これまでの政争や権力闘争を棚上げにして、国民一丸になって、全員一致、国民の英智を総結集して、この「危機」に対処すべきである、と。しかしながら、事態はそのようには進まなかった。日本政府は、つまり菅政権は、「国難」という言葉を乱発し、悲壮感を漂わせながら、この国難に立ち向かっているとは、とても思えない。逆に、この国難を、いかにして政権延命工作に「悪用」するかに神経を擦り減らしているように見える。菅官邸は、全員一致の震災対策といいながら、民主党議員の約半数を占める小沢グループを相変わらず完全に締め出している。自民党の谷垣総裁に副総理としての入閣を打診し、大連立を画策したがこちらには、断られている。腹の底がミエミエなのである。というわけで、言うまでもなく、現内閣は片肺内閣と言っていい。ところが、ここに来て、「谷垣首相」で「大連立」の工作が進められているらしい。谷垣もその気になっているらしいが、もしその「大連立」とやらが実現したら、文字通り「救国内閣」ということになるのか。むしろ「お笑い大震災内閣」ということになるのでは…。それにしても、何故、東北岩手出身で、誰もが認める民主党内の実力者・小沢一郎を「東北大震災対策大臣」に登用しなかったのか?菅直人の政治判断能力と政治家としての人間的力量に、あらためて疑問を感じた人は少なくないだろう。日本政府を動かしているのは、相も変わらず、仙谷由人枝野幸男レンホー等、政治家としての力量は未知数の素人集団である。震災対策にしろ原発事故対策にしろ、遅々として進まないのも当然である。ちなみに、政府官邸は、原発事故に掛かり切りで、震災現地の瓦礫山は、後進国もここまでひどくはないだろうと思われるぐらい、いまだ手付かずのままに放置され、後片付けは被災者の自己責任ということになっている。外国人が日本から続々逃げ出すのも当然だろう。菅直人が権力欲の虜になっているかぎり、「翼賛体制」も「救国内閣」も絵に描いた餅である。マスコミの、大震災直後から、自衛隊の救助もまだ来ていないような避難場所や放置されたままの被災現場に、ヘリコプターを使った突撃取材と震災報道を僕は高く評価する。しかし、そうだからこそ、現在の芸能人やスポーツ選手たちによる売名目的としか見えないような「募金活動」や「炊き出し」の情緒的な美談報道には、ウンザリする。大震災直後、いち早く、一億に近い「義援金」を申し出、その後沈黙している「ヨン様」の爪の垢でも煎じて飲みたまえ、と言いたい。今頃になって慈善活動とは…。慈善活動をやりたければ、タイガーマスクの例もあるわけだから、黙ってやれ。マスコミは、芸能人の偽善的な美談報道でお茶を濁すのではなく、政治や行政の「怠慢」を、今こそ厳しく監視、告発、批判せよ。