文藝評論家=山崎行太郎の『 毒蛇山荘日記(1)』

文藝評論家=山崎行太郎の政治ブログ『毒蛇山荘日記1(1) 』です。

ヘーゲルとマルクスー「江古田哲学研究会」について。

先日(3/18)の「江古田哲学研究会」は止めようかどうしようかとまよったのだが、やってみると、ほぼいつものメンバーが集まっていた。実は地震以後、韓国行きの予定を取りやめ家に引きこもりきりでテレビばかり見ていた。外にもろくに出なかった。だから電車がどういうペースで運行しているのかも、人出が普通なのか閑散としているのかもわからなかった。先日、恐る恐る外出して見ると、意外に、いつもと変わりないペースで世の中が動いているらしく、戸惑ってしまった。京浜東北線の横浜方面で人身事故があったらしく30分以上、遅れてしまった。池袋駅ではなかり待たされた挙句、ようやく到着、30分遅れで柄谷行人の『世界史の構造』の「序論」の部分を読み始める。柄谷は、ヘーゲル国家論とマルクス経済決定論(史的唯物論)を比較対照しつつ論を進め行くわけだが、序論の冒頭部分でのスタンスはヘーゲル的国家論を再評価するという思想的立場だ。ヘーゲル的観念論からマルクス唯物論へ、つまりヘーゲル的観念論はマルクス唯物論で克服・超克されていく、という思想史的図式で考えるのが常識だが、しかし、柄谷行人は、国家を、「資本・国家・ネーション」の三位一体構造としてとらえているヘーゲル的国家論を、国家の問題を上部構造の問題として軽視し、無視しているマルクス的国家論の上位に置く。国家の問題は、それ自体としてではなく「資本・国家・ネーション」という三位一体構造としてとらえなければならない、と言うのだ。つまり、マルクスの失敗は、資本という経済的下部構造の分析には成功したが、国家やネーションを軽視したが故に、国家の問題を総体的に捉えることが出来なかったという点にある。それが、マルクス主義の側ではスターリン主義をもたらし、反マルクス陣営ではファシズムをもたらした。マルクスは、国家やネーションの問題は、資本の分析で、つまり経済的下部構造の解明で解消されると考えたが故に、国家やネーションの暴走を許してしまったといういうことだ。言い換えれば、マルクスの資本の分析は成功しているのだから、今度はマルクスが資本の分析で行ったことを国家やネーションの問題にも適用すべきだというわけだ。そのためにも、マルクスではなく、ヘーゲルに立ち戻るべきだということになる。ヘーゲルは、国家を、資本・国家・ネーションの三位一体構造でとらえているからだ。(続く)

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