文藝評論家=山崎行太郎の『 毒蛇山荘日記(1)』

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保守論壇改造論(6)…田中美知太郎とソクラテス、プラトン、アリストテレス


一昨日、日曜日(3/6)、「日本保守主義研究会」の公開講座があり、この会の代表である岩田温(秀明大学助教)と、この会が発行する季刊雑誌『澪標』編集長の早瀬善彦(京都大学大学院博士課程在学)の二人による「憲法問題」に関する講演があったので、聴きに行ってきたが、そこで、二人の講演を聴きながら、保守論壇や保守思想の再構築の「可能性」と「方向性」について考えたので、思いつくままに簡単に記しておきたい。二人の講演はいずれも、憲法規範の問題をアリストテレスの「徳論」に遡るなど、ハイレベルの内容で、極めて本質的、原理論的のもので、しかも保守論壇内部の論争と分裂を提起するかのような、たとえば保守思想家として著名だった坂本多佳雄の象徴憲法肯定論を批判するなど、ポレミカルなものであったが、そのためかどうか知らないが、聴講者からの質問の中に、講演内容が「分からない」「難しすぎる」「この種の神学論争が必要なのか」…というようなものがあったわけだが、僕は、ここに、現在の保守論壇や保守思想の堕落と昏迷の原因があり、逆に言えば、保守論壇や保守思想の復権と再構築の可能性と方向性が、自ずから現れていると思った。さて、僕の敬愛する保守思想家の一人に田中美知太郎というギリシア哲学研究者がいたが、田中は、保守論壇に頻繁に登場し、保守思想について語ったが、しかし田中はいつも専門のソクラテスプラトンアリストテレスを引用し、講釈しながら保守思想というものの本質を語る人であった。しかし、現在の保守論壇や保守思想の世界に田中美知太郎のような存在はいない。現在の保守論壇や保守思想が、新聞記者や週刊誌記者レベルの政界情報や国際情報に占領されているからだ。従って、ソクラテスプラトンアリストテレスにまで議論を遡るならば、その途端に、「分からない」「難しすぎる」「この種の神学論争が必要なのか」…ということになるというわけである。つまり現在の保守論壇や保守思想は、読者大衆の知的レベルに妥協しているのであり、読者大衆が「分からない」「難しすぎる」と言えば、その要求に合わせて、読者大衆のレベルに迎合することを原則としている。たとえば、これは話が異なるが、「自由報道協会」なるフリージャーナリスト集団が、つまり実質的には単に永田町の「芸能レポーター」程度にすぎない三流ジャーナリストたちが、(保守)思想家気取りで、つまり(保守)論壇やジャーナリズムの主役気取りで登場してくるのも当然なのだ。おそらく、田中美知太郎のような保守思想家が、現在の保守論壇や保守思想の世界に登場したら、即座に執筆拒否され、つまり保守論壇から排除され、追放されることだろう。つまり現在の保守論壇や保守思想に欠如しているのは、田中美知太郎のような存在なのであり、田中美知太郎に象徴されるような学問的、原理論的思考、つまりこれを、僕なりの言葉に言い換えれば存在論的思考なのである。左翼論壇か保守論壇を問わず、『プントン全集』個人翻訳の大事業に象徴される田中美知太郎の学問的業績と、思想的蓄積を無視・黙殺できる人はいない。つまり、田中美知太郎は保守思想家だから、という理由で田中のプラトン研究やアリストテレス研究を黙殺する人がいたら、その人こそ思想的に無視・黙殺されるべき存在だということになろう。(続く)…(後は、『思想家・山崎行太郎のすべて』が分かる!!!有料メールマガジン『週刊・山崎行太郎』(月500円)でお読みください。登録はコチラから、http://www.mag2.com/m/0001151310.html


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