文藝評論家=山崎行太郎の『 毒蛇山荘日記(1)』

文藝評論家=山崎行太郎の政治ブログ『毒蛇山荘日記1(1) 』です。

「保守論壇改造論」(3)


自民党の長期政権を思想的に支えて来たのは保守論壇と保守思想であったが、自民党政権政党の位置から引きずり下ろし、実質的に崩壊させたのも保守論壇と保守思想だった、と僕は考える。たとえば、自民党は、自民党結党以来、マスコミや都市部のサラリーマン、あるいはインテリ層からは毛嫌いされ、批判され続けてきたが、戦後一貫して、物言わぬ大多数の国民大衆の暗黙の支持によって政権政党であり続けてきた。マスコミや都市部のサラリーマン、あるいはインテリ層を支持基盤として成立していたのが左翼論壇であり、逆に、地方の農村地帯に住む老人や子供たちに象徴されるような、「物言わぬ大多数の国民大衆の暗黙の支持」によって成立していたのが保守論壇であった。しかし、具体例で言うならば、小泉純一郎政権時代に、郵政改革をメインテーマにする「小泉構造改革」なるものを支持することによって保守論壇は「左翼化」し、「物言わぬ大多数の国民大衆」を切り捨て、同時に、その物言わぬ大多数の国民大衆の「暗黙の支持」を失うことになる。自民党の転落と崩壊は、小泉政権以後、この「構造改革路線」を踏襲した安倍政権、福田政権、そして麻生政権を通じて顕著になった保守論壇や保守思想の「左翼化」によって引き起こされたのである。つまり国民大衆の「集合的無意識」とでも呼ぶべきものを組み上げることにも、統合することにも失敗し、その結果、依拠すべき「物言わぬ大多数の国民大衆の暗黙の支持」を失ったからである。そしてその傾向は現在も続いている。最近の保守論壇や保守思想の堕落を象徴するキイーワードは、ちょっと前は「構造改革」であり、今は「小沢一郎」と「中国」であろう。たとえば、保守論壇や保守思想を支える保守系メディア、つまり雑誌や新聞に激しい「小沢一郎批判」や「中国批判」が出ない日はない。しかも、それは、全員一致ともいうべきワンパターンの批判の洪水である。僕は、この「単純化」され、「図式化」「集団化」されている保守論壇的言説こそ、保守論壇や保守思想の地盤沈下と思想的劣化を象徴しているものと考える。そもそも、何故、保守論壇の面々が、全員一致して「小沢一郎批判」や「中国批判」に血道を上げるのか。中国批判はともかくとして、むしろ、小沢一郎こそ、彼の選挙戦術だという「川上作戦」「どぶ板選挙」が体現しているように、「地方の農村地帯に住む老人や子供たち」、あるいは「物言わぬ大多数の国民大衆」の小さな声に耳を傾け、彼らの「集合的無意識」に敏感な、いわゆる保守政治家と言えるのではないのか。現に僕は、小泉純一郎総理(当時)によって自民党から追い出された亀井静香や、小沢一郎こそ「保守政治家」だと考える。しかし、保守論壇自民党の面々は、亀井静香を追放し、小沢一郎を罵倒することが「保守」であり「保守思想」だと勘違いしている。保守論壇や保守思想が劣化するはずである。さて、保守論壇や保守思想は、いつから、こういう悲惨な状況に堕落したのか。僕が見聞した実例を二つ挙げよう。「小泉構造改革」を批判した保守思想家・西尾幹二が、「小泉構造改革」を擁護する保守論壇の面々から、さまざまな抑圧や弾圧を受け、しかも驚くべきことに保守論壇から追放され、徹底的に排除されそうになった、いわゆる「西尾幹二事件」が一つである。僕は、その時、保守論壇や保守思想が、政治家たちの「道具」に、つまり特定の政治家の宣伝機関に成り下がっていることを実感した。もう一つは、僕も関わった保守論壇の「沖縄集団自決裁判」騒動である。僕は、その時、保守論壇の多くが、大江健三郎の『沖縄ノート』や曽野綾子の『ある神話の背景』など、「沖縄集団自決裁判」の基礎文献や基礎資料もろくに読まないままに、孫引きに孫引きを重ねながら、付和雷同しつつ大騒ぎしていることを知った。この二つの事件は、保守論壇や保守思想が、もはや思想的価値を喪失しつつあることを示していた。僕が、保守論壇や保守思想こそ「構造改革」を必要としていると考えるようになった所以である。「保守論壇や保守思想は、いつから、こういう悲惨な状況に堕落したのか」……。その前に、そもそも保守論壇とはどういうものだったのか?僕が保守論壇に関心を持つようになったのは、江藤淳の「政治評論」を通してであった。江藤淳は『夏目漱石』論でデビューし、同世代の作家大江健三郎石原慎太郎らとともに文壇を中心に華々しく活躍した文藝評論家である。しかし、この世代の作家や評論家たちは、文学だけでなく、政治にも並々ならぬ関心を持ち、実際、具体的に政治的な行動を実践しさえした。たとえば、誰でも知っていることだが、石原慎太郎が、突然、参議院選挙に立候補し、作家から政治家への転身に成功し、やがて政治家としても頭角を現し、総理大臣の有力候補にまで上り詰め、その後、「東京都知事」にまでなったのは、その具体例である。勿論、石原慎太郎だけではない。大江健三郎は「左翼論壇」の中心的存在になり、多くの政治評論を書き、江藤淳も「保守論壇」の中心的存在となる。つまり、僕が、江藤淳大江健三郎を読み、文学だけではなく、思想や政治に関心を持ち始めた頃、左翼論壇も保守論壇も、文字通り光り輝いていたのである。保守論壇に限って言えば、江藤淳と同時代に活躍した保守思想家(政治学)には高坂正尭永井陽之助がおり、江藤淳に先立って先輩格としては福田恒存三島由紀夫小林秀雄、田中美知太郎等がいた。いずれにしろ、勢力的には明らかに左翼論壇より貧弱であり、数から言えば明らかに少数派ではあったが、思想的にも学問的にも、左翼論壇を凌駕していた。しかし、三島由紀夫自決事件の前後から、保守論壇や保守思想も、少しずつ地盤沈下し、思想的劣化が始める。世代交代が起こるからである。やがて小林秀雄福田恒存が亡くなり、そして江藤淳も自殺して保守論壇から姿を消す。そこで、登場するのが、西部邁小林よしのり桜井よしこ等、保守論壇や保守思想の「エピゴーネン世代」とも言うべき「保守論壇第二世代」である。現在の保守論壇の状況を、その前の世代の保守論壇や保守思想と比較するならば、そのあまりの思想的レベルの落差に驚くほかはない。つまり、最近の保守論壇にかぎらず、左翼論壇を含めて、論壇やジャーナリズムは、江藤淳石原慎太郎大江健三郎等が活躍した頃の論壇やジャーナリズムに比べれば、思想的に救いがたいほどに劣化し、堕落しているということである。現在の日本の政治や経済が地番沈下し、堕落するのも当然である。自民党の劣化も民主党の迷走も、論壇やジャーナリズムの劣化と堕落と無縁ではない、と僕は考える。(続く)




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