文藝評論家=山崎行太郎の『 毒蛇山荘日記(1)』

文藝評論家=山崎行太郎の政治ブログ『毒蛇山荘日記1(1) 』です。

原口前総務相の「倒閣宣言」を掲載している月刊誌は、「月刊日本」3月号だった。

昨日の「江古田哲学研究会」で、柄谷行人『世界史の構造』の序文をようやく読み終え、次回から序説の「交換様式論」に入ることになった。遅々として進まないが、しかしこの本を、パラパラと読み飛ばし、適当に概論や要約をし、それで「読んだ」というのではなく、あくまでも原文テキストを丁寧に熟読玩味し、柄谷行人の思考の源泉ともいうべき文体と行間の意味を味わうことが本来の目的なので、それでいいと思っている。最近の論壇やジャーナリズムには、柄谷行人に象徴される原理的思考、ないしは哲学的思考が欠如している。そのために薄っぺらな政局論や人身攻撃、非難中傷合戦、同語反復的な陳腐なイデオロギー論争……しかない。柄谷行人はあまり政局論や情勢論はやらないが、政局論者や情勢論者たちより、はるかに柄谷行人の方が思想的影響力を持っている。柄谷行人はこう書いている。

2001年以後の事態において、私はグローバルな資本と国家への対抗運動がはらむ問題について再考することを迫られた。その時期、私はあらためてカントやヘーゲルについて考えたのである。というのは、興味深いことに、イラク戦争が、通常専門の哲学者意外は関知しない、カントやヘーゲルといった古典哲学の問題を、突然、現代の政治的文脈において蘇生させたからだ。たとえばアメリカのネオコン・イデオローグは、フランスやドイツが支持した国連を、「カント的夢想」として嘲笑した。そのとき、彼らはその名を口にしなかったが、実際は゛ヘーゲル゛の観点に立っていたのである。(中略)この過程で、私はあらためてカントについて、特に「永遠平和」の問題について考えるようになった。(柄谷行人『世界史の構造』序文)

柄谷行人は、イラク戦争や9・11事件などを受けて、国際情勢論などでお茶を濁すのではなく、そこから問題の原理論的本質をえぐりだし、一見、世界情勢とは無縁なものかとも思われる原理論を展開していく。柄谷行人はほとんどテレビなどには出ないし、おそらくひそかに書斎にこもって、カントやヘーゲルマルクスの著作などと「睨めっこ」しているのだろう。しかし、柄谷行人の孤独は、世界情勢論に通底しているのだ。さて、実は昨日の「江古田哲学研究会」には、いつものように日本保守主義研究会代表で、政治哲学専攻(秀明大学助教)の岩田温氏も、新著『日本は憲法で滅ぶ』(「総和」)を持って参加してくれたが、他に「月刊日本」編集部の坪内氏と尾崎氏も特別参加ということで、何事かと思っていたら、「月刊日本」3月号に掲載された原口一博議員の「菅政権は打倒せねばならない」が、「小沢系議員16人の『義挙』」の日と重ななったためにテレビや新聞で話題になっているということで、刷りあがっばかりの「月刊日本」を持参してくれたのだった。僕は、「原口一博議員が月刊誌で『倒閣宣言』…」というニュースを何処からともなく聞いていたが、その月刊誌はたぶん「文藝春秋」あたりだろうと思っていた。それが実は「月刊日本」だったとは想像もしていなかった。同誌には、僕の連載「月刊・文藝時評」も載っており、早速、読んでみたが、なるほど、マスコミが騒ぐはずだと思った。その後、騒ぎ大きくなりすぎたためか、原口議員は「倒閣宣言ではない」と記者会見で語ったらしいが、いくら当人が否定しても、僕は、これは、倒閣宣言以外の何物でもないと思う。「菅政権は打倒せねばならない」「菅総理はリーダーの器ではない」「沖縄に対する差別を許すな」「民主党民主党Aと民主党Bに袂を分つ」「民主党B(菅直人仙谷由人官房長官一派)とは徹底的に対抗していく」「日本維新の会という政治集団を準備している」「河村たかし名古屋市長等とも地方選でで協力していく」「政権交代の原点に戻る時である」…原口議員は明確に倒閣へ動き始めたと見ていい。






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