文藝評論家=山崎行太郎の『 毒蛇山荘日記(1)』

文藝評論家=山崎行太郎の政治ブログ『毒蛇山荘日記1(1) 』です。

「小沢事件」のその後の展開を、マスコミは、何故、国民に伝えようとしないのか?

小沢事件は、小沢一郎が「検審起訴」され、また小沢事件の原点とも言うべき「大久保隆規秘書事件」(西松建設事件)や「石川知裕元秘書事件」(水谷建設事件)の裁判が開始され、新しい段階を迎えているにもかかわらず、マスコミは、大相撲八百長事件や小向美奈子指名手配事件、そしてまたまたタイミングよく犯人が逮捕された中目黒駅前老人殺害事件等に紙面や画面を独占され、なかなか報道しようとしない。何故、マスコミは、小沢一郎事件のその後の展開を詳しく報道しようとしないのか?八百長事件も覚せい剤事件も、もう厭きたではないか?今こそ、日本の将来を左右するかもしれない小沢事件のその後の展開や秘書たちの裁判の行方を、報道すべきだろう。と、考えるのは、あくまでも常識的、制度的思考だろう。何故、マスコミが小沢事件のその後を詳細に報道しないのか。むしろ無視し、隠蔽しようとするのか。おそらく、今回の小沢事件の真の主役がマスコミだったからである。つまりマスコミは、戦後日本を支配してきた権力構造の一翼を担ってきたのだが、自民党から民主党への政権交代に直面し、その権力構造の崩壊の危機に、マスコミ自身が恐怖感を抱いているということだ。公平な報道や政治的中立性、あるいは権力批判というマスコミの宿命をかなぐり捨てて、捏造報道やリーク報道を繰り返し、「小沢一郎バッシング報道」に邁進しているのは、それこそ背に腹は代えられないというわけだ。客観報道を、マスコミに求めるのがそもそも間違いなのである。革命の時、革命軍がテレビ局や新聞社を暴力的に包囲し、占拠するのは、マスコミが権力の一部であるというより、権力そのものだからである。われわれは、世界の現実を、つまり現実そのものを直接的に見ることはできない。マスコミやその他の情報メディアを通じてしか見ることはできない。言い換えれば、マスコミ批判なくして現実そのものへの接近は不可能だ。マスコミの政治性を暴露することなしに、世界の現実を見ることはできない。たとえば、今、エジプトは、革命的政変の渦中にある。ムバラク大統領と解放広場に集まる市民たち。欧米マスコミとそれに追随する日本やその他の世界の各国のマスコミの多くは、「民主化」を賛美し、市民群衆の行動を賛美する。われわれは、今、そういうマスコミが作り上げた、かなり政治的な情報空間の中にいる。もはや、ムバラクの実像など知ることは不可能だ。むろん、僕もムバラクを擁護しているわけではない。いつのまにかムバラク大統領批判のマスコミ的論調に「洗脳」され、その論調に迎合し、同調している自分自身を発見して、愕然とするばかりだ。(続く)


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