文藝評論家=山崎行太郎の『 毒蛇山荘日記(1)』

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フッサール現象学とは何だったのか?(その2)

マサリクの勧めにしたがってフッサールはウイーン大学のブレンターノの下で哲学研究を開始するわけだが、と言っても所謂、観念哲学ではなく数理哲学、ないしは論理学を専門的に研究するわけだが、フッサールが数学研究に飽き足らなかった根本問題は、この頃のフッサールが、数学や物理学を含めて、近代科学や近代哲学、いわゆる近代的思考そのものに飽き足らなかったことを意味しているように思われる。つまり、数学から哲学への転向は、フッサールの関心が、数学ではなく、「数学とは何か」「数学的認識とは何か」という問題に移行しつつあったということである。「数学とは何か」「数学的認識とは何か」と問うことは、もはや数学研究の枠を超えている。言い換えれば、フッサールは、数学や物理学を学的探求の理念型として絶対化する近代的学問そのものの根拠に疑問を感じ始めていたということであろう。それが数学研究ではなく、哲学研究へフッサールを転向させた大きな要因であることは否定できない。しかし、フッサールの処女作が『算術の哲学』(1891)であることが示しているように、ウイーン大学で哲学を学びつつあったが、それでもまだ数学と哲学の境界を彷徨っていたが、決定的な転進を決意させたのは、師・ブレンターノの講義であった。フッサールは、こう回想している、「わたしがブレンターノの講義を聴こうと思ったのは、はじめは単なる好奇心からであった。すなわち、当時のウィーンでそれほど評判になっている男の講義を一度聴いてみようと思ったのであった。(中略)わたしは彼の講義から、はじめて哲学を自分の生涯の職として選ぶ勇気を与えられた。すなわち、哲学も真剣な研究に値する領域であり、最も厳密な学の精神で取り扱われるし、またそうせねばならないという確信を得た。彼がすべての問題に肉薄するさいの純粋な即事性、ずかしい問題にふさわしい取り扱い方、可能ないろいろの議論を細かに弁証法的に考慮するしかた、あいまいな概念を裁断するやり方、さらにずての哲学的概念を直観的な源泉にまで還元するやり方ーーこれらすべてのことが、わたしの心を驚嘆とたしかな信頼の念をもって満たした。」(フッサール『フランツ・ブレンターノの思い出』)要するに、フッサールの数学から哲学への転向を決定付けたのは、ブレンターノとの出会いであり、ブレンターノの講義が示した「厳密な学としての哲学」との出会いであったということが出来る。つまり、数学よりもさらに厳密な、その根源を問う厳密学としての哲学との出会いであった。




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