文藝評論家=山崎行太郎の『 毒蛇山荘日記(1)』

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フッサール現象学とは何だったのか?

エドムント・フッサールは、1859年、現在のチェコ領のプロスチョフに生まれている。つまり、現在の地政学的に言えば、フッサールチェコ出身の哲学者ということになる。むろん、フッサールが生まれた当時は、そこはオーストリア領であったが、やはり、現在的な意味で、「チェコ領生まれ」ということは、フッサール現象学を語る上で、大きな意味を持っているように見える。ところで、フッサールは当初、数学が専攻であり、数学者ヴァイヤーシュトラースの元で、数学研究を続け、やがて数学助手を務めていたほどであったが、しかし、突然、数学研究を放棄し、哲学へ転じている。当時の学問としては、数学や物理学のような学問が、いわゆる「厳密な学問」として君臨していたはずだが、フッサールはその数学研究を放棄して、哲学へ転向する。この、数学から哲学への転向という事実こそが、フッサール現象学の秘密を解く鍵を提供している。フッサールが数学から哲学へ転じる時、重要な役割を演じたのが、後にチェコの大統領ともなるマサリクだった。フッサールは、親友・マサリクの勧めに従って、ウイーン大学のブレンターノの下で哲学を学ぶことになる。つまりフッサール現象学の起源は、マサリクの勧めに従って、数学から哲学へ転向し、ウイーン大のブレンターノの下で哲学の勉強を開始するところにある。では、フッサールは、数学の何に飽き足らず、数学研究を放棄してまでも、わざわざ哲学の勉強を開始ししなければならなかったのだろうか。フッサールが、哲学研究に期待したものとは何だったのか。フッサールは、『厳密学』を模索していた。恐らく、手始めに始めたのが数学だったが、数学の厳密性に飽き足らずに、さらに厳密性の探求の学として哲学研究を開始したのである。


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