文藝評論家=山崎行太郎の『 毒蛇山荘日記(1)』

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補助弁護士選定に重大疑惑。そして「代表選当日」(9/14)にあわせて「強制起訴」の議決を急がせたのは誰か?

「第五検察審査会」における小沢一郎に対する強制起訴議決が決定したのは民主党代表選挙の当日だったことが分かっているが、何故、強制起訴議決がこの民主党代表選挙の当日でなければならなかったのか、何故、民主党代表選挙にあわせるかのように、あわてて議決を急いだのか、誰が強制起訴議決を急がせたのか、という疑惑に、補助弁護役の吉田弁護士は、いつ、補助弁護士に選任され、どれだけの期間、補助弁護の役割を勤めたのか、というあらたな問題点が浮上してきたようだ。要するに、補助弁護士・吉田は、実質的にどれだけの期間、「小沢事件」の審査や審査補助に関わっていたのか、という問題である。驚くべきことだが、吉田が「小沢事件」に補助弁護士としてかかわったのは、ごく短期間に過ぎなかったようなのだ。「日刊ゲンダイ」にこんな記事がある。

今回、検察審の補助員を務めた吉田繁実弁護士はいつ選任されたのか。8月中から選任されていたのに、メディアに漏れなかったのか。それとも、9月になって初めて選任されたのか。検察審事務局は「審査状況に関することなので公開できません」の一点張りだが、永田町では、こんな情報が駆けめぐっている。
「実は、第5検察審の補助弁護士は9月7日まで決まっていなかったと聞いています。この日に選任されたのが吉田弁護士だとすると、8月の審査は補助員なしで行っていたのか、あるいは前任者がいたのか。すべては闇に包まれているのです」(政界関係者)

「第5検察審の補助弁護士は9月7日まで決まっていなかった」とすれば、つまり9月7日に吉田某が補助弁護士として採用されたとすれば、吉田某は、わずか一週間しか「小沢事件」資料分析や審査補助に関わっていないということだ。しかも、「検察審査会」のメンバーも、この頃、入れ替わっているし、「小沢事件」資料や審査に実質的に関わった時間は、そんなに長くはない。ここのところを「日々坦々」ブログは、こう分析している。

4月27日に行われた東京第五検察審査会の1回目の議決は、11人全員一致で「起訴相当」を出した。
半年の任期で3ヶ月ごとにその半分が入れ替わるので、7月末まではその議決を出した審査員は5人残っていた。
8月には、その半数のメンバーが入れ替わっているので、今回の議決には、4月に議決した審査員は誰もいなかったことになる。この平均年齢は最初30.9歳(のちに33.91歳と訂正し、最終的に34.55歳になった)の検察審査員11人のうち、8月に入れ替わったばかりの審査員は、1ヶ月半で結論を出したことになる。
読売新聞によると、8月はお盆休みもあるので、「隔週でしか集まれなかったが、9月に入ってからは、平日に頻繁に集まり審査を行った。」と関係者の話として書いている。
(参照:「代表選当日の小沢氏審査、「議論煮詰まり」議決」読売新聞 2010年10月6日03時06分削除済み)(参照)

以上から分かることは、補助弁護士吉田某も、「検察審査会」メンバーも、ろくに「小沢事件」資料を精読する時間も、その資料を基に審査する時間もなかったということである。つまり「はじめに結論ありき」の「検察審査会」だったということである。しかも、ここから導かれるのは、「9/14」(民主党代表選挙)に結論を出すことが、ほぼ日程的に事前に仕組まれていたらしいということである。何故、わずか一週間で、日本の将来を左右するかもしれない重大な決定が、十分な議論もなされないままになされたのであろか……。誰かが、この日程を、あわて仕組んだのだろうか。、「9/14」(民主党代表選挙)に「検察審査会」の「起訴相当」議決を必要としたのは誰か。そして「検察審査会」は、その誰かによって恣意的に「政治利用」されたということか。とすれば、真っ先に「検察審査会」という制度こそ解体すべきではないのか。
(続く)



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