文藝評論家=山崎行太郎の『 毒蛇山荘日記(1)』

文藝評論家=山崎行太郎の政治ブログ『毒蛇山荘日記1(1) 』です。

フッサ−ルの「超越論的主観性」とはなにか?

フッサ−ルの現象学について何か書いてみたい。僕は、今、柄谷行人の『世界史の構造』を読んでいるところだが、その傍らで、必要があってフッサ−ルも読んでいる。フッサ−ルの現象学が自分なりにわかりかけてきたので、ここで、じっくり読んでみたいと思っているところだ。フッサ−ルの用語に、エポケ−や現象学的還元、生活世界、事象そのものへ、ノエマノエシス…などと並んで「超越論」、ないしは「超越論的還元」、あるいは「超越論的主観性」という用語があり、これらが、フッサ−ル現象学を理解する上で重要な役割をになっているが、はたして、この超越論とは何を意味しているのか。あるいは超越論的主観性とは何なのか。その前に、まず、フッサ−ルが「ヨロッパ諸学問の危機」を救うべく主張した「直接経験に戻れ」というものが何であるかを説明を簡単にしておくべきだろう。フッサ−ルのいう学問の危機、ないしは「ヨロッパ諸学問の危機」とは、この「直接経験」の軽視、つまり空理空論に走りすぎるところにある。そこでフッサ−ルは、数学や物理学など、ようするに近代科学が前提するような「客観性」を疑い、その客観性を、むしろ現実を隠蔽し、覆い隠す装置と見做し、それを批判(還元)する。





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