文藝評論家=山崎行太郎の『 毒蛇山荘日記(1)』

文藝評論家=山崎行太郎の政治ブログ『毒蛇山荘日記1(1) 』です。

「岩手日報」で捏造コラム(小沢一郎への引退勧告)を書いた宮沢徳雄よ、恥を知れ。

我が恩師・江藤淳先生の珠玉の小沢一郎論「帰りなん、いざー小沢一郎君に与う」(1997年03月03日 産経新聞 東京朝刊 1面。『月に一度』とその改題復刊本『小沢君、水沢に帰りたまえ』所収)を、未読の上に誤解・曲解したあげく、参考資料として堂々と「江藤淳」という名前まで出して、いかにも教養ありげに小沢一郎に引退勧告した「岩手日報」の例のコラム(「小沢氏の去就 『使命』果たしたのでは」岩手日報2010.6.16)だけではなく、それを得意気に紹介した産経新聞の記事、そして元々の江藤先生の産経新聞掲載の原文テキスト(「帰りなん、いざー小沢一郎君に与う」)が、引用・転載可能な形のものが手に入ったのであらためて紹介しておきたい。原文も読まずに、訳知り顔で、「どうだろう。この辺で鳩山前首相と共に政界から身をひくことを考えてみては。かつて評論家江藤淳氏が陶淵明の詩「帰去来辞」を引用して小沢氏に「帰りなん、いざ。田園まさに蕪(あ)れんとす。なんぞ帰らざる」と帰郷を勧めたことがある。すでに十分に「使命」を果たしたのではないか。」。と、「岩手日報」に捏造コラム(小沢一郎への引退勧告)を書いた宮沢徳雄よ、恥を知れ。江藤先生が、件のコラムで引用している陶淵明の詩の一節は、宮沢徳雄が引用したものとはまったく異なる。「陶淵明」や「帰郷」と言えば、小学生でもすぐに思い浮かべるような一節「帰りなん、いざ。田園まさに蕪(あ)れんとす。なんぞ帰らざる」ではない。江藤先生が引用しているのは、陶淵明陶淵明であるが、『帰去来辞』からではなく、『飲酒二十首』と言われる詩篇からである。ということは、「かつて評論家江藤淳氏が陶淵明の詩「帰去来辞」を引用して小沢氏に「帰りなん、いざ。田園まさに蕪(あ)れんとす。なんぞ帰らざる」と帰郷を勧めたことがある。」という文章は、なんら実証的根拠のない捏造、あるいは妄想だったということになる。宮沢某が、江藤先生のコラム原文を読んでいないだけでななく、陶淵明に関する知識や教養も「小学生レベル」ということが、そのいい加減な引用や解釈から分かるだろう。要するに、宮沢某が言う、「かつて評論家江藤淳氏が陶淵明の詩「帰去来辞」を引用して小沢氏に「帰りなん、いざ。田園まさに蕪(あ)れんとす。なんぞ帰らざる」と帰郷を勧めたことがある。」という記事は、新聞記者として致命的な「デッチアゲ事件」の典型だと言うことである。つまり、「江藤淳氏が陶淵明の詩『帰去来辞』を引用して・・・」というところは、宮沢某自身が「未読」であることを暴露したものであり、いわば「見てきたような大嘘・・・」ということになる。繰り返して言うが、江藤先生は、陶淵明詩篇から四回、つまり四ヶ所引用しているが、そこで引用した詩篇は、『帰去来辞』からではなく、『飲酒二十首』その他からである。参考のために、江藤淳先生の原文と、その引用元の詩篇を紹介しておこう。

 小沢君よ、その時期については君に一任したい。しかし、今こそ君は新進党党首のみならず衆議院議席をも辞し、飄然として故郷水沢に帰るべきではないのか。そして、故山に帰った暁には、しばらく閑雲野鶴を友として、深く国事に思いを潜め、内外の情勢を観望し、病いを養いつつ他日を期すべきではないか。
君に問う 何ぞよく爾(しか)るやと/心遠ければ地も自ずから偏(へん)なり/菊を采(と)る 東籬(とうり)の下(もと)/悠然として南山を見る」と詠じた陶淵明は、実は単なる老荘の徒ではなく、逃避主義者でもなかった。「覚悟して当(まさ)に還るを念(おも)うべし/鳥尽くれば良弓は廃(す)てらる」という悲憤を抱き、「日月(じつげつ) 人を擲(す)てて去り/志あるも騁(の)ばすを獲(え)ず」という烈々たる想いを、少しも隠そうとはしていないからである。
 どんな良い弓でも、鳥がいなくなれば捨てられてしまう。信念の実現は、現実の社会ではなかなか思い通りにはならない。とはいうものの、小沢君、故山へ戻れというのは、決して信念の実現を諦めるためではない。むしろ信念をよりよく生かすためにこそ、水沢へ帰ったらどうだというのである。


(中略)


陶淵明は、また詠じている。「幽蘭(ゆうらん) 前庭に生じ/薫りを含んで清風を待つ/清風 脱然(だつぜん)として至らば/蕭艾(しょうがい)の中より別たれん」。蘭がひっそりと花開き、薫りを含んで風を待っている。風がさっとひと吹きすれば、蘭と雑草の違いはすぐわかるのだ。
 水沢へ戻った君を、小沢君、郷党は粗略に扱うはずがない。いや、郷党はおろか国民が君をほっておかない。構想力と実行力を兼備し、信念を枉げずに理想に生きる政治家を、心ある国民はいつも求めている。遠からず内外の政客の水沢詣でがはじまり、やがて門前市をなすという盛況を呈するに違いない。

(「帰りなん、いざー小沢一郎君に与う」1997年03月03日 産経新聞 東京朝刊 1面。『月に一度』とその改題復刊本『小沢君、水沢に帰りたまえ』所収)

以上が、江藤先生が陶淵明詩篇から引用した部分とその前後の原文のテキストである。次に引用元の陶淵明の『飲酒二十篇』等の詩篇である。

陶淵明
■『飲酒 其十七(幽蘭生前庭)」
幽蘭生前庭、 幽蘭(才能の高さを喩える) 前庭に生じ
含薫待清風。 薫を含んで清風を待つ
清風脱然至、 清風 脱然(のびやかなさま)として至らば
見別蕭艾中。 蕭艾の中より別たれん

行行失故路、 行き行はて故路を失うも
任道或能通。 道(自然の道理)に任さば或いは能く通ぜん

覚悟当念還、 覚悟(覚醒)して当に[元の道に]還るを念(オモ)うべし
鳥尽廃良弓。 鳥尽くれば良弓廃てらる
(「史記」『淮陰侯列伝』「狡兎死して良狗煮られ、高鳥尽きて良弓蔵(カク)さる」)



■『飲酒 其五(結廬在人境)』
結廬在人境  廬(いおり)を結びて人境(じんきょう)に在り
而無車馬喧  而(しか)も車馬の喧(かまびす)しきなし
問君何能爾  君に問う、何ぞ能く爾(しか)るやと
心遠地自偏  心遠ければ地自ずから偏なり
采菊東籬下  菊を采(と)る東籬(とうり)の下(もと)
悠然見南山  悠然として南山(なんざん)を見る

山気日夕佳  山気日夕(にっせき)に佳(よ)く
飛鳥相與還  飛鳥(ひちょう)相與(あいとも)に還(かえ)る
此中有真意  此の中(うち)に真意有り
欲辨已忘言  辨ぜんと欲して已(すで)に言を忘る



■雜詩其二  日月人を擲てて去る
白日淪西阿  白日(はくじつ) 西の阿(おか)に淪(しず)み
素月出東嶺  素月(そげつ) 東の嶺に出づ
遙遙萬里輝  遙遙として万里に輝き
蕩蕩空中景  蕩蕩たり空中の景
風來入房戸  風来たって房戸(ぼうこ)に入(い)り
夜中枕席冷  夜中(やちゅう) 枕席(ちんせき)冷(ひ)ゆ
氣變悟時易  気変じて時の易(うつ)るを悟り
不眠知夕永  眠らずして夕の永きを知る
欲言無予和  言(かた)らんと欲するも予(われ)に和(こと)うるものなく
揮杯勸孤影  杯を揮(き)して孤影に勧(すす)む

日月擲人去  日月(じつげつ) 人を擲(す)てて去り
有志不獲騁  志有るも騁(は)するを獲(え)ず

念此懷悲悽  此を念ひて悲悽(ひせい)を懐(いだ)き
終曉不能靜  暁に終(いた)るまで静かなるを能(あた)わず

(陶淵明)

江藤先生が、「『君に問う 何ぞよく爾(しか)るやと/心遠ければ地も自ずから偏(へん)なり/菊を采(と)る 東籬(とうり)の下(もと)/悠然として南山を見る」と引用した上で、「陶淵明は、実は単なる老荘の徒ではなく、逃避主義者でもなかった。」と、わざわざ書き加えている意味は、小沢一郎への「帰郷のすすめ」が、「再起を期す」、あるいは「捲土重来、国民の與望をになって議政壇上に復帰する」というところに重点があったためである。したがって次のような詩句が引用されるのである、「覚悟して当(まさ)に還るを念(おも)うべし/鳥尽くれば良弓は廃(す)てらる」「日月(じつげつ) 人を擲(す)てて去り/志あるも騁(の)ばすを獲(え)ず」と。つまり、「覚悟して当(まさ)に還るを念(おも)うべし」と、「還ること」、つまり「復活」を呼びかけたところに、この江藤コラムの主眼はあったのだ。とすれば、宮沢某よ、お前が書いた記事は、引用元もその解釈も、ともに嘘ばかりということになるだろう。ハツタリもいい加減にしろ、と申し上げたい。つまり江藤先生の「帰郷のすすめ」の真意は、次のようなものだったのだ。宮沢某が得意そうに紹介している意味とは、ぜんぜん、違うではないか。「小沢君、故山へ戻れというのは、決して信念の実現を諦めるためではない。むしろ信念をよりよく生かすためにこそ、水沢に帰ったらどうだというのである。」「小沢君、君は『みンな』を敵にまわすことによって、君の理想をくっきりと浮かび上がらせればよい。君はまだ五十四歳の若さである。水沢で想を練り、思索を深めつつ改稿した『日本改造計画』第二版をひっさげて、捲土重来、国民の與望をになって議政壇上に復帰する日が、そう遠いものとも思われない。」(江藤淳)つまり、江藤先生は、「小沢一郎君、日本の将来は君の双肩にかかっている。今は力を蓄える時だ。」と言っているのだ。そして、今、まさに日本の独立という問題は、長い雌伏の時間を経て、政権交代を実現し、自らも政治的に復権した政治家・小沢一郎の双肩にかかっているのだ。岩手県民よ、捏造新聞「岩手日報」なんぞは見捨てていが、岩手県が生んだ大政治家の一人・小沢一郎を忘れるなかれ。
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産経新聞が「岩手日報」コラム(小沢一郎への引退勧告)を紹介。

小沢“凋落”で地元も見放した!? 岩手県紙が引退勧告
2010.06.17


 民主党小沢一郎前幹事長(68)に、おひざ元・岩手の県紙「岩手日報」(約22万部)が政界引退を勧告した。菅直人首相(63)の「脱小沢」路線で、永田町での地位低下が著しい小沢氏だが、地元での威光にも、かげりが見えてきたようだ。

 衝撃の引退勧告は、16日付の同紙論説に「『使命』果たしたのでは」とのタイトルで掲載された。

 編集局長や論説委員長を務めた宮沢徳雄委員(論説・制作担当常務)の執筆で、「昨年夏の衆院選で『政権交代』を果たした原動力が小沢氏であることは周知の事実」と、郷土の剛腕政治家を評価しながら、こう続ける。

 「世論は鳩山(由紀夫前首相)、小沢両氏につきまとった『政治とカネ』に嫌悪感を抱いているのが明らかだ。どうだろう。この辺で鳩山前首相と共に政界から身をひくことを考えてみては」

 「かつて評論家江藤淳氏が陶淵明の詩『帰去来辞』を引用して小沢氏に『帰りなん、いざ。田園まさに蕪(あ)れんとす。なんぞ帰らざる』と帰郷を勧めたことがある。すでに十分に『使命』を果たしたのではないか」

 小沢氏は今月4日、盛岡市民主党会合で映したビデオレターで、参院選後に「先頭に立つ」と訴えたが、地元紙の諫言にどうこたえるのか。

■「岩手日報」の小沢一郎批判

小沢氏の去就 「使命」果たしたのでは
岩手日報の「論説」(宮沢徳雄(2010.6.16))



 いつも政局の中枢にあり、影響力を発揮してきた小沢一郎民主党前幹事長が今「一兵卒」としての日々を過ごす。通常国会が16日閉幕。参院選に突入するが、「脱小沢」の布陣を敷いた菅直人新政権に国民の審判が下る。 

 鳩山由紀夫前首相と小沢氏の2トップが辞任した陰で激しい主導権争いが繰り広げられたことは想像に難くない。鳩山氏の後継に菅氏を選んだことも、前政権に見た既視感を覚えた。本来ならば野党時代に主張したように、政権内のたらい回しではなく解散・総選挙を実施し、国民に信を問うのが筋だった。

 民主政権の交代劇で主役を演じた3人は、4年前に小沢氏が偽メール問題で辞任した前原誠司代表の後任に就いた時に「トロイカ体制」を組んだ仲だ。その1人が首相に就き、ほかの2人が身をひく事態に時の流れを感じる。

 新政権への国民の期待度は世論調査にも表れているが、参院選の結果次第では与野党の再分裂や政界編成が視野に入ってくるだろう。だからこそ「豪腕」「壊し屋」と言われる小沢氏の次の行動に政界の注目が集まる。

 しかし、小沢氏は辞任時の会見などで「一兵卒」と言いながら、9月の代表選に向けて「先頭に立つ」と意欲を隠さない。最大の小沢グループも一連の党人事や閣僚人事で「脱小沢」を鮮明にした菅首相とは一定の距離を置く。

 先の代表選びで田中真紀子元外相や海江田万里氏らに出馬を促したとも伝えられる。表向きは「自主投票」だったが、グループの後押しを受けて善戦した樽床伸二氏が国対委員長に就いた。

 「小沢グループの協力なしに参院選は戦えない」−との声が聞かれる一方、小沢氏自身も樽床氏の得票数に「非常によかった。悲観する数字ではない」と語っている。

 9月の代表選は参院選の結果次第で大きく違ってくる。民主党にとって、最大の課題は参院選を勝ち抜くことだ。単独過半数でなくとも連立維持できる状況ならば、菅首相の続投が前提になるだろう。それなのに、参院選を前に小沢氏が9月の代表選に言及したことは不可解だ。

 不意の「ハト鉄砲」を食らって冷静な判断ができなかったか。「しばらくは静かにして」と注文した菅首相の言葉に心を乱したのか。
 昨年夏の衆院選で「政権交代」を果たした原動力が小沢氏であることは周知の事実。「参院選に勝ち、政権安定と改革実行が可能になる」−とは本人の言葉だが、世論は鳩山、小沢両氏につきまとった「政治とカネ」に嫌悪感を抱いているのが明らかだ。

 どうだろう。この辺で鳩山前首相と共に政界から身をひくことを考えてみては。

 かつて評論家江藤淳氏が陶淵明の詩「帰去来辞」を引用して小沢氏に「帰りなん、いざ。田園まさに蕪(あ)れんとす。なんぞ帰らざる」と帰郷を勧めたことがある。 すでに十分に「使命」を果たしたのではないか。

http://www.iwate-np.co.jp/ronsetu/y2010/m06/r0616.htm

江藤淳小沢一郎

江藤淳氏のエッセイ全文>
【月に一度】江藤淳 帰りなん、いざ 小沢一郎君に与う
1997年03月03日 産経新聞 東京朝刊 1面




 新進党は、去る二月二十六日午後に開かれた両院議員懇談会で、七時間に及ぶ激論の末に、「小沢一郎党首の下で、党再建に向けて出発する」ことを確認したという。

 新聞でそのことを知ったとき、私は一面でホッとすると同時に、反面ある名状しがたい悲哀の念を覚えざるを得なかった。いや、両院議員懇談会の当日、テレビに映る小沢党首の憮然とした表情を眺めていたときから、私の胸中にはいたましさがつのった。

  新進党は、いや日本の政界は、構想力雲のごときこの優れた政治家を、寄ってたかって潰してしまおうとしているのだろうか。それは嫉妬からか、反感なのか、はたまた“剛腕”を謳われた小沢一郎自身の、不徳のいたす所というほかないのか。

 そこで、この際、私は小沢一郎君に一言したい。最大野党の党首であるこの大政治家に向かって、敢えて君呼ばわりするのは、私が小沢君より十歳の年長であり、たまたま同学の先輩として面識があるからである。更にまたそれは、福沢諭吉以来の慶應義塾の伝統に即してもいるからである。

 小沢君よ、その時期については君に一任したい。しかし、今こそ君は新進党党首のみならず衆議院議席をも辞し、飄然として故郷水沢に帰るべきではないのか。そして、故山に帰った暁には、しばらく閑雲野鶴を友として、深く国事に思いを潜め、内外の情勢を観望し、病いを養いつつ他日を期すべきではないか。

 「君に問う 何ぞよく爾(しか)るやと/心遠ければ地も自ずから偏(へん)なり/菊を采(と)る 東籬(とうり)の下(もと)/悠然として南山を見る」と詠じた陶淵明は、実は単なる老荘の徒ではなく、逃避主義者でもなかった。「覚悟して当(まさ)に還るを念(おも)うべし/鳥尽くれば良弓は廃(す)てらる」という悲憤を抱き、「日月(じつげつ) 人を擲(す)てて去り/志あるも騁(の)ばすを獲(え)ず」という烈々たる想いを、少しも隠そうとはしていないからである。

 どんな良い弓でも、鳥がいなくなれば捨てられてしまう。信念の実現は、現実の社会ではなかなか思い通りにはならない。とはいうものの、小沢君、故山へ戻れというのは、決して信念の実現を諦めるためではない。むしろ信念をよりよく生かすためにこそ、水沢へ帰ったらどうだというのである。

 過去五年間の日本の政治は、小沢対反小沢の呪縛のなかを、行きつ戻りつして来たといっても過言ではない。小沢一郎が永田町を去れば、この不毛な構図はたちどころに解消するのである。野中広務亀井静香両氏のごとき、反小沢の急先鋒は、振り上げた拳の行きどころを失うのである。

  小沢一郎が永田町を去れば、永田町は反小沢の天下になるのだろうか? かならずしもそうとはいえない。そのときむしろ、無数の小・小沢が出現する可能性が開けると見るべきである。なぜなら、反小沢を唱えさえすれば能事(のうじ)足れりとして来た徒輩が、今度は一人ひとり自分の構想を語らざるを得なくなるからである。

 沖縄は、防衛・外交は、財政再建は、憲法改正は? 小沢にはとてもついて行けないといって烏合の衆を成していた連中が、自分の頭で考え、自分の言葉で語りはじめれば、永田町は確実に変わる。変わらないかも知れないけれども、小沢一郎新進党の党首を辞め、議員バッジもはずしてサッサと故郷に帰ってしまえば、新進党はもとより自・社・さも民主党も、皆一様に茫然自失せざるを得ない。

 その茫然自失のなかで、人々は悟るに違いない。過去五年間日本の政界を閉ざしていた暗雲の只中に、ポカリと一点の青空が現れたことを。党首の地位にも議席にも恋々とせず、信念を枉(ま)げず、理想を固く守って故山へ戻る政治家の心情の潔さを。小沢君、君は何もいう必要がない。ただ君の行動によって、その清々しさを示せばよい。

 大西郷以来、そういう出処進退を示し得た政治家が何人いただろうか。洋の東西を問わず、クリントンエリツィンもメージャーも、江沢民や金泳三も、一人の例外もなく「続投」に汲々としているだけではないか。

 陶淵明は、また詠じている。「幽蘭(ゆうらん) 前庭に生じ/薫りを含んで清風を待つ/清風 脱然(だつぜん)として至らば/蕭艾(しょうがい)の中より別たれん」。蘭がひっそりと花開き、薫りを含んで風を待っている。風がさっとひと吹きすれば、蘭と雑草の違いはすぐわかるのだ。 水沢へ戻った君を、小沢君、郷党は粗略に扱うはずがない。いや、郷党はおろか国民が君をほっておかない。構想力と実行力を兼備し、信念を枉げずに理想に生きる政治家を、心ある国民はいつも求めている。遠からず内外の政客の水沢詣でがはじまり、やがて門前市をなすという盛況を呈するに違いない。

 吉田茂以来、それだけの実力のある政治家が何人いたか。勝海舟はいっている。「みンな、敵がいゝ。みンな、敵になったから、これなら出来ます」(『海舟余波』)

 小沢君、君は「みンな」を敵にまわすことによって、君の理想をくっきりと浮かび上がらせればよい。君はまだ五十四歳の若さである。

  水沢で想を練り、思索を深めつつ改稿した『日本改造計画』第二版をひっさげて、捲土重来、国民の與望をになって議政壇上に復帰する日が、そう遠いものとも思われない。

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