文藝評論家=山崎行太郎の『 毒蛇山荘日記(1)』

文藝評論家=山崎行太郎の政治ブログ『毒蛇山荘日記1(1) 』です。

西部邁こそ、「田舎のゴロツキの八枚舌男」ではないのか?

いわゆる「小沢事件」におけるマスコミの激しい「政治とカネ」批判、つまり「小沢バッシング報道」や、それに煽られた作家、批評家、知識人、文化人、思想家…等の「小沢罵倒発言」を詳細を見ていくと、最近の文壇や論壇、ジャーナリズムの思想的レベルの低下は顕著であると言わるをえない。その思想的レベルの低下の根本原因が、イデオロギー的、倫理主義的思考の蔓延にあることは明らかだ。つまり、最近の小沢批判の言説の中に、「存在論的思考」とでも呼ぶべき深い、根源的思索が、一片だに存在しないのだ。前回、私は立花隆福田和也の「小沢批判」の思想的レベルの低さを取り上げ、批判したが、今月は、さらに多くの、思想的に語る値しないような低レベルの「小沢批判」を、「新潮45」の「小沢一郎特集号」を筆頭として各雑誌メディアで読むことが出来るが、そこにあるのは、田中角栄批判以来の、あるいはもっと昔からの「金権政治家」批判や「独裁的な政治手法」批判である。そこに見られる思考こそ、道徳主義的で倫理主義的な「善悪」レベルの議論ばかりでる。たとえば、その一例。「小沢一郎研究」(「新潮45」4月号別冊)」「櫻井よしこ:小沢さん、あなたはそれでよいのですか」。「文藝春秋」4月号「特集:天皇の執刀医が小沢一郎に直言する」(北村唯一)「小沢一郎よ、あなたは陛下のご体調を考えたことがあるのか」。「WILL」4月号:「特集:巨悪は眠らせない!」「宗像紀夫:検察は地の底を掘り起こせ!」「西部邁小沢一郎は国会のゴロツキだ」。これらの「小沢批判」の言説に共通しているのは、日本国民の多くが固唾を呑んで凝視していたはずの「小沢対検察の権力闘争」の実態に関して、完全な「情報不足」と「分析能力不足」を露呈して、思考停止状態にあるということだろう。これらの記事の多くは、小沢一郎の人格や風貌、あるいはカネや独裁的政治手法の話題だけで成り立っているが、何故、日本国民の多くが関心を持っている「検察の暴走」という視点や、「検察リーク報道」の是非という視点、あるいは「アメリカの影響」という視点は存在しないのか。おそらく、これらのメディア自身が、日本国民を思想的に啓蒙しリードしていくどころの話ではなく、国民目線よりもはるかに立ち遅れているというのが現実であり、かくして伝統的マスコミは、今や日本国民の多くから見放されようとしているというのが実情だろう。今回のオザワ事件が明らかにしたのは、まさにそういう「伝統的なマスコミ・メディアの終焉」という現実だったと言っていい。たとえば、西部邁は、かつては、それは西部が左翼過激派から足を洗い、経済学者として東大教授にまで上り詰め、その地位を手土産に見事に保守派へ転向後のことではあるが、「検察ファシズム」という言葉を乱用して検察の暴走を批判していたことがあるにもかかわらず、今回のオザワ事件に際しては、その言葉をすっかり忘れてしまったかのように、もっぱら小沢一郎という政治家の個人的犯罪事件に矮小化した上で、「小沢一郎はゴロツキだ」という知性の欠片もないようなお粗末なタイトルの論文で、小沢一郎の風貌や政治手法を批判し、小沢は、「田舎のゴロツキの八枚舌男」だと罵倒している。西部は、小沢主導で実現した「政党助成金」や「小選挙区制」を批判し、さらに小沢の、新党を立ち上げては壊し、立ち上げては壊し、という「壊し屋」的体質を、あるいは「数こそ力」という小沢式の「数の論理」等を批判しながら、「やはり田舎のゴロツキの八枚舌男だ、というぐらいに、しっかりと見定める必要がある。そういう人物なんだと思う。」と言っている。
 この子供染みた罵倒文を読みながら、私は、西部は、今は、小沢批判の言葉も論理も持ち合わせてはいないのだろうと思う。ところで西部は、『立ち腐れる日本』(光文社、1991)という栗本慎一郎との対談本で、熱烈な小沢擁護論を展開していた過去があるが、忘れているのだろうか。それとも、相変わらず、変わり身が早いと言うべきか。

小沢という人が、風貌その他からしてなんとなく゛悪い人゛にあてはまりやすい(笑)、それだけのことです。もうひとつにには、小沢氏が湾岸戦争絡みで、国連平和協力法その他のいわゆる国際的貢献について負けを覚悟のうえで、あるいは成立を度外視したうえで、とりあえず言うべきことを言ったからです。みんなが言わないことを言ったから、悪いというわけですね。したがって、情報社会だとかイメージ社会だとか言われますが、そのイメージの貧困さ、情報のデタラメさというのは、ほとんど目を覆うばかりです。(P117)

さらに西部は、次のようなことまで言っている。

自分を含めて、大衆社会岸信介氏、中曽根康弘氏、そして今回の小沢一郎氏といった少数の有能な政治家たちを引きずりおろしてきたのです。これら三者に共通するのは、指導力を発揮しようとする意志の強さであり、また、それに際しての決断の速さおよび固さということです。≫(P122)

 この小沢擁護論は、小沢が自民党幹事長だった頃のものだが、あれから約20年後の今、状況が変わったことがあるとすれば、小沢が「民主党」の幹事長になったことと、西部が「老い」て、「思考停止」状態に陥っているのではないか、ということぐらいだろう。ほとんど状況は変わっていない。それにもかかわらず、西部の「小沢一郎」に対する批評的言説の中身は、百八十度、転換している。「言うべきことを言う」「指導力」「意思の強さ」「決断の早さと固さ」…があるという二十年前の小沢一郎絶賛論から、「小沢ゴロツキ論」に至るまでに、西部に、どのような思想的変化があったのだろうか。それとも小沢一郎が、百八十度、変化したと言うのだろうか。それにしても、西部のように、二枚舌、三枚舌を駆使して、論壇やジャーナリズムの表舞台で、いつまでも老醜をさらしながら生き延びようとする言論人の卑屈な姿勢こそ、今まさに、批判され、否定されようとしているのではないだろうか。






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