文藝評論家=山崎行太郎の『 毒蛇山荘日記(1)』

文藝評論家=山崎行太郎の政治ブログ『毒蛇山荘日記1(1) 』です。

今こそ、高坂正尭の『宰相・吉田茂』を熟読すべし。


中川昭一氏の急死が意味するもの。
 自民党保守派の最後の砦とも言うべき中川昭一氏の突然の死に驚かなかったものはいないだろう。私もまたそうであった。しかし、しばらくして、その急死が、偶然的というよりも、いかにも必然的な、運命的な死であったという感覚もまた、同時に沸き起こってきた。それは、自民党の政治的死、つまり自民党の終焉、あるいは自民党的な保守原理主義の終焉、言い換えれば、自民党から民主党への政権交代を象徴しているように見えたからである。つまり、政権政党として戦後政治を常に主導してきた自民党という国民政党が、冷戦の終結という国際政治の大きな転換があったとはいえ、主義・主張というイデオロギーを重視する左翼的な「イデオロギー政党」に変貌し、主義・主張の異なる異分子の排除・除名・復党を繰り返すような極端な「純化路線」をとるようになった必然的な結果として、自民党結党以来はじめての「小数野党」に転落したように見えたからである。中川氏の死が明らかになると、自民党やマスコミ周辺に飛び交い始めた「保守」や「保守再生」「真正保守」という言葉に、私は違和感を持ち始めると同時に、これこそが、中川氏を「死」にまで追いつめたのではないか、と思わないわけにはいかなかった。たとえば、中川氏の政治的盟友である平沼赳夫代議士や安倍晋三元首相、麻生太郎前首相等は、自民党の再生の方向を「保守再生」と位置づけ、「保守」や「保守主義」を力説しているが、私は、むしろ、そこに小数野党に転落した自民党の病根はあると考える。自民党は「保守主義」では再生しない。むしろ、「憲法改正」や「安保問題」を声高に語る保守主義というイデオロギー(理想主義)を封印し、権力闘争や派閥抗争、そして政界再編、選挙等に熱中する「現実主義」路線をとることによってしか自民党は復活しない。「民主主義は選挙である」(小沢一郎)。 私が中川昭一という政治家に注目するようになったのは、安倍晋三氏等とともに、南京事件論争や「従軍慰安婦」問題などをめぐる「女性戦犯法廷」の報道とそれへの政治介入問題などで話題になった「NHK・朝日新聞事件」においてであった。しかし、そこに中川氏の政治的限界はすでに明らかであった。中川氏は、「現実」よりも「理想(イデオロギー)」を選択したのである。私は、中川昭一氏の父親・中川一郎という政治家のファンであったから、「中川一郎急死事件」にも、秘書の鈴木宗男氏との後継争いにも、そしてその後の亀井派議員としての政治行動にも少なからぬ関心を持ち続けていたが、やはり世襲政治家ではない亀井氏や鈴木氏と比較しないわけにはいかない。郵政民営化問題を契機に「小泉自民党」と決別し、ミニ新党を立ち上げ、冷や飯を食いながらも妥協せず、そしてチャンスと見るやすばやく民主党と連立を組むことによって政界の中枢にかえりさいた亀井氏や鈴木氏の「現実主義」と、小泉自民党との妥協を繰り返したあげく、政権中枢で「憲法改正」や「安保問題」を語り続け、ついに落選と急死に追い詰められた中川氏の「理想主義」・・・。「政界は一寸先は闇」であると言われるそうだが、まさに至言である。
■今こそ、高坂正尭の『宰相・吉田茂』を熟読すべし。 
要するに、自民党議員は、「憲法改正」や「安保問題」を封印し、経済中心主義の政治を断行した「吉田ドクトリン」を、櫻井よしこ氏や中西輝政氏のように批判するのではなく、今こそ「吉田ドクトリン」を再評価し、そして自民党的な現実主義を主張した保守思想家・高坂正尭の『宰相・吉田茂』を熟読すべきである。高坂は、こう書いた。 ≪まず、われわれの注意は、戦後のあの混沌とした時代に、「戦争で負けて外交で勝った歴史はある」と言うことができた人物に向けられなくてはならない。これまで、吉田茂は評論家と知識人によって、恐ろしく不当に扱われて来た。吉田の独善ぶりと頑固さは、まるできまり文句のようにくり返されて来た。しかし、それは裏を返せば決断力と信念の固さということではないだろうか。そして、彼は長所と短所を含めたすべての能力を投入して、ひとつの仕事に傾倒して来たのではないだろうか。吉田は国際政治について確固たる哲学を持ち、その哲学が指し示す地位を日本に与えようとしたのだ、と私は思う。 これまで、彼は思想を持っていないと言われて来た。しかしはたして、思想を持たない、権力欲の強い官僚が、あの軍国主義盛んなりしときに、最後まで孤塁を守って日独防共協定に反対したりするだろうか。…(中略)  吉田茂は、国際政治において、軍事力に最大の重要性を与えたことは一度もなかったーー肯定的にも否定的にも。彼は、軍事力には二次的な地位しか与えなかったし、逆に軍事力を否定しようともしなかった。彼は、政治的、経済的関係を国家間の関係の基本と信じ、その意味で名誉ある地位を日本が国際社会において占めるというひとつの願いを抱き、そのために努力して来た。実際彼は、戦前戦後を通じて恐ろしく変わらなかった。それには、それなりの限界もあり、欠点もあるだろう。しかし、彼には大きな業績もあるのだ。それは何よりも戦後の復興をが示している。≫(『宰相・吉田茂』P7-8)  政治家は、軽々しく「理想」や「イデオロギー」を語るべきではない。吉田茂の政治家人生は、それを証明している。吉田は権力闘争を勝ち抜き、長期政権を維持したが、「理想」や「イデオロギー」を語らなかった。しかし、吉田に理想やイデオロギーがなかったわけではない。高坂正尭が言うように、吉田には吉田の「政治哲学」があった。高坂正尭の弟子と称する中西輝政氏は、自民党の政治家たちとに深い思想的影響を与えているらしいが、恩師の代表作『宰相・吉田茂』を熟読したことはあるのだろうか。自民党員よ、中西輝政氏や櫻井よしこ氏等の主張する「保守主義」という「理想主義」や「イデオロギー」に酔いしれる前に、今こそ、高坂正尭の『宰相・吉田茂』を熟読すべし。 保守思想家や保守政治家たちは、好んで「歴史や伝統」を語るが、歴史や伝統ということについて、本気で考えたことがあるのか。あるいは、歴史や伝統の「持続の流れ」(ベルグソン)に参加しているのか。彼等は、歴史や伝統の外側に立ち、「高見の見物」を決め込んでいるだけではないのか。保守思想家の元祖とも言うべき小林秀雄は、こう書いている。 ≪独創性などに狙いをつけて、独創的な仕事が出来るものではあるまい。それは独創的な仕事をしたと言われる人達の仕事をよく見てみれば、誰も納得するところだろう。伝統もこれに似たようなものだ。伝統を拒んだり、求めたりするような意識に頼っていては、決してつかまらぬ或る物だろう。それなら、伝統は無意識のうちにあるのか。そうかも知れないが、この無意識という現代人の誤解の巣窟のような言葉を使うのは、私には気が進まない。伝統とは精神である。何処に隠れていようが構わぬではないか。私が、伝統を想って、おのずから無私が想えたというのも、そういう意味合いからである。無私な一種の視力だけが、む歴史の外観上の対立や断絶を透かして、決して飛躍しない歴史の持続する流れを捕えるのではないだろうか。≫(『考えるヒント2』文春文庫P136)  小林秀雄が、ここで言おうとしていることは、「歴史や伝統を守る」と声高に主張することと、「歴史や伝統を生きる」こととは違うということだ。たとえば、三島由紀夫は、「歴史と伝統を守る」と言ったが、彼にとっては、歴史と伝統を守るとは、「歴史と伝統を守れ」と叫ぶことではなく、彼の職業であった小説や芝居を黙々と書き続けることであった。自決前夜も、彼は『豊饒の海』という大長編を書き続け、そして当日、原稿を書き上げて最後のページに「完」と記し、編集者にその完成原稿を手渡す約束をした上で、市ヶ谷の自衛隊駐屯地に向かったのであった。
■「外国語としての日本語で書き、考える」とは、どういうことか。
 外国語としての日本語を駆使する作家たちが注目されているが、その新しい流れを代表する二人の作家、楊逸(中国)とシリン・ネザマフィ(イラク)の対談「私たちはなぜ日本語で書くのか」が面白い。彼等は、外国生まれで、日本語を外国語として学習し、熟達・熟練した上で、その外国語としての日本語で書き、考える「日本語作家」として登場してきたわけだが、たしかに彼等の文壇への登場の仕方には時局や時勢への便乗的・迎合的な要素もなくはないが、しかしやはり、そこには重要な問題が内包されている。我々は、「日本語で書き、考える」ことにあまりにも慣れ親しんでいるが故に、日本語という言葉の存在を意識できなくなっている。しかし、この世界の物や事は、すべて言葉を通して語られ、発見され、存在させられている。たとえば「伝統」という言葉を使うことによって、伝統そのものに触れていると我々は錯覚するが、むろん、我々が触れているのは「伝統」という言葉であって、伝統そのものではない。言い換えれば、「伝統」という言葉(イデオロギー)を使うことによって、我々は、伝統そのもの(現実)が、何であるかを考えることが出来なくなっている。文学とは、その「伝統」という言葉の背後に横たわる虚無を見つめること、そしてその虚無を表現し、その虚無を生きることである。作家や批評家にとって、言葉ではなく言葉の背後に広がる虚無を生きることこそ、「作品」を創ることである。二葉亭四迷国木田独歩夏目漱石等の明治初期の作家たちにとっては、現代日本語は存在しなかった。彼等もまた、「日本語」という外国語に接し、そして外国語を使うかのように日本語を使ったのである。彼等の文学作品が、新鮮なのは、彼等が、日本語という言葉の背後にある「虚無」、つまり「言語の恣意性」(ソシュール)を見つめていたからである。 校時に日本人のクラスメートから貰った寄せ書きを見せてもらったときに、初めて漢字を見ました。初めて見たときは、非常に不思議な感じがしたことを覚えていま≪私は中学生のとき、小学生時代を日本で過ごした女の子と仲良くなって、その子の転す。≫(シリン・ネザマフィ「文学界」11月号P194) 我々は、日本語に接する時、こういう「不思議な感じ」を失っているが、しかし、むろん、幼児や、優れた言語感覚の作家や思想家、政治家、実業家たち、そして生活者たちも、こういう「不思議な感じ」を完全に失っているわけではない。「伝統」という言葉の前に立ち尽くす作家や思想家、政治家、生活者 …もいないわけではない。 たとえば、今月は新人賞の季節だが、「新潮」新人賞を受賞した赤木和雄の『神キチ』という「宗教狂い」を戯画的に描いた作品には、そういう「不思議な感じ」が漂っている。 (山崎行太郎)





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