文藝評論家=山崎行太郎の『 毒蛇山荘日記(1)』

文藝評論家=山崎行太郎の政治ブログ『毒蛇山荘日記1(1) 』です。

曽野綾子「私は今はもう沖縄問題から足を洗いたいんです。」…。


曽野綾子氏が、秦郁彦編集の『沖縄戦「集団自決」の謎と真実』(PHP)に、秦郁彦との対談をまとめたものを掲載し、つまり「対談・沖縄の『悲劇』を直視する。」という対談で登場し、僕が一昨年、曽野綾子批判を開始し、「月刊日本」や「週刊金曜日」「琉球新報」等で、曽野綾子批判だけではなく、「沖縄集団自決」をめぐる保守論壇や保守ジャーナリズムの思想的劣化や知的退廃までを批判し始めて以来、久しぶりに、というか実質的には、おそらく初めてと言っていいのではないかと思うのだが、「沖縄集団自決」に言及しているのだが、大阪地裁判決の直前まで、意気揚々と繰り返していた「罪の巨塊(巨魁)」発言、詳しく説明すると、大江健三郎氏が「罪の巨塊(巨魁)」と非難・罵倒しているような「大悪人」(つまり赤松隊長)が本当にこの世にいるものなら、是非とも会ってみたいと思ったのが、曽野綾子氏が「沖縄集団自決」に関わるきっかけだったという話に関する、いわゆる肝心の「誤字・誤読問題」には、不思議なことに、都合が悪くなって逃げたのかどうか分からないが、まったく触れていない。この「曽野綾子秦郁彦対談」は、昨年(2008年)の夏ごろ、曽野綾子邸でこっそりおこなわれたものらしいが、いかなる理由があるのか知らないが、何処の雑誌にも発表されなかったらしいが、これほどのホットなテーマの、しかも今をときめく売れっ子の二人による「ビッグ対談」(笑)が、何故、ボツになったのか。ほとぼりが冷めた頃、そっと出したということだろうか。いや、実は、どの保守系雑誌の編集部も、これ以上、この問題に深くかかわりたくなくて、お引取り願ったというのが実際だろう。いずれにしろ、大江健三郎氏が法廷で指摘し、僕がその大江氏の話を、さらに深く広く敷衍・展開した「誤字・誤読問題」には、一言も言及せず、つまり都合の悪くなった話の方は、沈黙を決め込み、どうでもいいような自慢話は、延々と続けるつもりらしいが、しかしそれでも気がひけたのか、こんな爆弾発言をしている。…「私は今はもう沖縄問題から足を洗いたいんです。…」と。おいおい、今まで、多くの人たちを洗脳し、裁判闘争にまで巻き込み、さんざん振り回し挙句、裁判が敗色濃厚となるや、自分だけは、さっさと「足を洗いたい」とは、ふざけるにも程がああるというものではないのか。むろん、そう易々と「足を洗う」ようなマネを、許してはなるまい。しかも、曽野綾子氏は、「負け犬の遠吠え」よろしく、まだこんなことを言っている。…「私はこの本を書いた時からずつと一貫しているんです。軍命令はなかったという証拠もないが、あったという証拠もありません。今にも洞窟の奥から決定的な文書が出てきたら私は即座に訂正いたしますと言い続けてきたんです。」と。これとまったく同じ台詞を、示し合わせたかのように、「マンガ右翼」の小林よしのりも発言しているわけだが、この発言こそ、いかにも、さっぱりした、潔い態度のように見えるが、この発言の中に欺瞞的レトリックが隠されているのだ。つまり、こうだ。曽野綾子氏の言う「軍命令の証拠」になるものとは、「洞窟の奥の文書」でなければならないということだ。なるほど、そういうことは、つまり文書以外の「軍命令」の証拠は認めないということであろう。曽野綾子氏の言う「文書」とは、おそらく日本軍の「公式文書」ということだろう。要するに、曽野綾子氏は、そんなものは、いくら探したって見つかりはしないさ、とタカをくくっているのだ。むろん、当時の渡嘉敷島座間味島の状況を勘案するならば、軍からの「公式文書」が出ているはずはなく、つまり命令系統はほぼ遮断されていたはずだから、「文書」があるはずはない。それを承知の上で、曽野綾子氏は、「文書が出てくれば…」と言っているのだ。頭隠して尻隠さず、とはこういうことを言うのであろう。ところで、秦郁彦氏は、『沖縄戦「集団自決」の謎と真実』(PHP)の中で、本来は裁判闘争にかかわった仲間だったはずの原告側弁護士を、わざわざ匿名で、「T弁護士」と暗号で呼んだ挙句、遅刻の常習犯だったとか、書類作成が遅く、ルーズだったとか、あるいは秦郁彦氏らが、現地調査で座間味島を訪れた時、「偶然…」(笑)に発見したところの「宮平秀幸新証言」なるものを、裁判資料として重視しなかったとか、あるいは秦郁彦本人が「証言」するはずだったのに、それが裁判所に却下されたとか、要するに、それらのことを含めて「T弁護士」の責任を激しく批判・追求しているが、これは、僕が以前から予想していたことだが、「沖縄集団自決裁判」原告側弁護団、及び支援者グループが、大きく二つに分裂したことを示している。ちなみに、「T弁護士」とは、「徳永弁護士」のことだろうが、いずれにしろ、結局、最高裁判決を待たずに、この裁判は決着がついているのである。最高裁を前に、「沖縄集団自決裁判」の仕掛け人のキイーパーソン曽野綾子氏が裁判の敗色濃厚を察知し、早々と逃亡・沈黙を宣言し、原告側弁護団・支援グループが「宮平秀幸新証言」をめぐって真っ二つに分裂し、さらにまた「沖縄集団自決裁判」応援団の重要人物・小林よしのりが「沖縄論」「アイヌ論」等の筆禍事件で沈黙を余儀なくされて、結局は、この「沖縄集団自決裁判」に関わった者たちが、ことごとく自爆・自滅してしまったのは、何故か。しかし、むろん、「沖縄集団自決」問題が、裁判の判決で終わるわけではない。そもそも、裁判で決着をつけようとしたのは、大江健三郎氏側ではなく、秦郁彦氏や藤岡信勝氏、曽野綾子氏を初めとする保守論壇や保守ジャーナリズムの一部の面々だったことを忘れてはなるまい。今頃、裁判官に「歴史の真実」を決定する資格はない、とか何とか言って裁判官を批判したところで、それは「語るに堕ちる」と言うべきであって、所詮は自作自演のお笑い喜劇でしかない。(続く)



■下は曽野綾子氏が、赤松氏らと打ち合わせをしている写真。何故、曽野綾子氏は、赤松部隊の隊員たちの懇親会(作戦会議?)に参加する必要があったのか? 何故、この会合に出席したことを、曽野綾子氏は、語らないのか? この写真の会議は、何のための会議だったのか?

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