文藝評論家=山崎行太郎の『 毒蛇山荘日記(1)』

文藝評論家=山崎行太郎の政治ブログ『毒蛇山荘日記1(1) 』です。

「柄谷行人・西部邁対談」(「中央公論」5月号)を読む。


珍しく柄谷行人氏と西部邁氏が対談していると言うので、「中央公論」5月号を大学の図書館で手にとって見たが、やはり予想通りというか、意外にもというか、話は昨今の世界金融不況をめぐって展開するわけだが、実質的な議論は、マルクスの「資本論」解釈から宇野弘蔵の「三段階論」まで、一貫して原理論的な対話に終始しており、なかなかスリリングな知的刺激に満ちた思想対談であったので、同誌に載っている「アダム・スミス論」とともに、熟読すべく早速、コピーしたというわけであるが、しかし、よく考えてみれば、自称「保守思想家」の西部氏は、はたしてこういう原理論的、本質論的なマルクス論なり宇野弘蔵論なりを、日ごろから展開しているのだろうか、と考えてみると、元左翼活動家であり元経済学者であったにもかかわらず、まったくそんなことはなく、日ごろは愚にもつかない居酒屋談義レベルの床屋政談で、右翼・保守論客やネット右翼等を相手にお茶を濁しているだけであって、たまたま今回は、対談相手が、かねてからマルクス宇野弘蔵に関して独自の論理を展開している柄谷行人氏だったということから、マルクス宇野弘蔵に触れて、さも「一家言」ありそうな物言いで話しているだけで、現在の西部氏は、柄谷行人氏とは違って、本当は、こんなことは、何にも考えていないはずである。対話の言葉の端々からもそれは推察できる。たとえば、話が、終始、柄谷行人氏のペースで進んでいることからも、柄谷氏のマルクス宇野弘蔵に関する独自の分析や論理展開に反論するどころか、何回も同意していることからも、それは明らかであって、西部氏の頭脳は、ほとんど思考回転しておらず、いわゆる思考停止状態にあると言って間違いはない。西部邁氏は、完璧に柄谷行人氏に論破されているのだが、論破されていることにも気付かないほど、思考停止の病は進んでいると言わざるを得ない。しかるに、これが、現在の日本の代表的な保守・右翼思想家の現状であり実態なのだ。何故、保守・右翼思想家たちは、西部氏を筆頭に、こういう悲惨な思考停止事態に陥ってしまったのか。(続)




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