文藝評論家=山崎行太郎の『 毒蛇山荘日記(1)』

文藝評論家=山崎行太郎の政治ブログ『毒蛇山荘日記1(1) 』です。

著作権、あるいはネットリテラシーについて。

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沖縄問題を書くようになってから、幾度か、激しい批判罵倒攻撃を受けてきたが、それだけではなく、不必要と思われる「嫌がらせ」や「忠告」や「警告」、あるいは「抗議」も受けてきたが、僕は、それらは単なる言い掛かりだと受け止めて、ほとんど無視していたわけだけれども、その抗議の多くは、「私の情報を……」「私の思想を……」、「私の……」「……盗んだ……」というような類の被害妄想的な抗議で、こういうことは、歴史研究や歴史分析には良くあることで、先行研究者や資料保持者の「焦り」や「嫉妬」から出た「言い掛かり」の類だろうと思っていたが、今回は、僕自身ではなく、僕に情報を提供してくれた「和田」氏が当事者になってしまったということなので、看過するわけには行かなくなった。というわけで、以下のような、関係者以外には、おそらく、やや意味不明の文章を書いてしまったので、ここに掲載しておくことにする。

>●●さま。
●●さん、いつも貴重な情報提供、分析、解釈をありがとうございます。貴投稿(10/21)のご趣旨、よくわかりました。雑誌「青い海」情報の件、引用元を付記しました。これ以上、貴兄とは係わり合いになりたくありませんので、貴ブログのリンク類は、拙ブログからは削除しました。また貴兄の投稿(10/21)も削除しました。ついでに申し上げますが、ネット上の「著作権」類、あるいはネット・リテラシー等に関する認識と原則においては、貴兄と私の認識と原則はちょつと違うかもしれません。情報収集や電子化・文字化などの苦労はわかりますが、また、いろいろ議論はあるかもしれませんが、私は、ネツト上に公開した時点で、実質的に著作権類は消滅するか、あるいは論理的にに、引用やコピペなどは、閲覧者の「自由」になると考えています。むしろそこに、ネットにおける情報力の速度と深度が発生すると考えます。新聞社が、ネット上で公開した新聞記事などに関して、「著作権」を主張している場合もありますが、それはむしろ自分で自分の首を絞めるだけであり、それ故に、引用・コピペは、今のところ、ほぼ野放しであり、私はそれが、むしろ自然な形態だと思います。たとえば雑誌「青い海」の記事、あるいは同誌掲載写真の「著作権」類に関しても、厳密に、論理的に考えれば、いわゆる「著作権」類は、それをネットに公開した人ではなく、雑誌「青い海」の編集・発行者、あるいは手記筆者、及び写真撮影者(カメラマン)にあるわけですが、たとえば「赤松手記」は赤松秀次本人、あるいはその著作権譲渡を受けた人、あるいは編集発行人……にあると思われますが、赤松本人やその他が、「著作権」を主張するとは思えません。むしろ、情報や資料をその原著者や執筆者に、「無断」(???)で、善意からとはいえ、ネットに、そっくりそのまま全文を文字化し、公開している者こそ、厳密に考えれば、原著者や執筆者の「著作権」を侵害している可能性が高いと言うべきでしょう。しかし、いずれにせよ、そこまで「著作権」類にこだわることは、むしろ多様な言論活動、学問思想活動、あるいは情報公開による思想表現活動の障害や妨害になるだけのように見えます。それは、雑誌発行者や編集者、あるいは著者・筆者の望むところでもないはずです。他の人たちが、どう考えているかはわかりませんが、少なくとも私は、以上のように考え、情報源、あるいはソースなどの明記も、煩雑にならない程度に、最小限にとどめています。情報や資料を独占し、情報や資料の拡散と伝播を恐れる人は、その情報や資料を公衆の面前に、特にネットに公開すべきではありません。ともあれ、ネットと著作権……という問題も、よく考えてみるべき課題ですね。★追記……「和田」様、これに懲りず、ますますのご活躍を祈ります。これまで、いろいろヒントをいただき感謝しています。(山崎行太郎)