文藝評論家=山崎行太郎の『 毒蛇山荘日記(1)』

文藝評論家=山崎行太郎の政治ブログ『毒蛇山荘日記1(1) 』です。

保守論壇を憂う(3)。

以下は「琉球新報」に掲載された連載コラム「保守論壇を憂う。」の最終回です。



保守論壇を憂う。(3)


山崎行太郎 (文藝評論家、埼玉大学講師)



秦郁彦氏を筆頭とする保守論壇の面々が、「軍命令はなかった」と主張するもう一つの論拠に遺族年金給付手続きの問題がある。つまり、「軍命令があった」という「軍命令説」証言は、遺族年金受給のための「偽証」だったと、関係者(宮城氏、宮村氏、照屋氏)が告白し、「詫び状」まで書いている、だから「軍命令説」は破綻した、というのが保守論壇の定説だ。しかし、ここにも理論的欠陥がある。遺族年金手続きが問題になったのは昭和30年前後だが、「軍命令説」は昭和25年に刊行された『鉄の暴風』に既に記録されている。とすれば、論理的に考えれば、関係者の証言で、たとえ軍命令説の「偽証」が明らかになったとしても、「軍命令はなかかった」ということの証拠にはならないだろう。 さて、「沖縄集団自決裁判」問題の争点は、「軍命令があったか、なかったか」という問題に集約されつつあるが、私は「軍命令」の有無という問題に興味がない。たとえば、曽野綾子氏や小林よしのり氏は、さかんに軍命令の「証拠」さえあれば、潔く「軍命令説」に転向すると言っているが、この言説にも嘘と巧妙な仕掛けがあることを見逃してはならない。実は彼等が言う「軍命令」の「証拠」とは、いわゆる「公式文書」のことだ。彼等は、あの大混乱の戦闘中に赤松氏等が「軍命令」という「公式文書」を残すはずがなく、未来永劫そんな「公式文書」は発見されないだろうということを確信しているのだ。だから、「証拠が見付かれば、いつでも転向する」と心にもない大嘘をつくことが出来るのである。要するに、「公式文書」が発見されない限り、「軍命令はなかった」ということになる、というのが彼等の詐欺的レトリツクである。むろん、そんな詭弁が通用するわけがない。
最後に少し個人的な話を書かせてもらいたい。私は「沖縄集団自決事件」の現地取材を、長年続けている専門家でも研究者でもない。私は一介の文芸評論家にすぎない。では、何故、今回、「沖縄集団自決」問題に関心を持ち、テキスト・クリティークや文献批判にまで深入りすることになったのか。実は、私の父も戦争末期に徴兵され、「南大東島」で沖縄戦に参加、生死の境を彷徨いながらも、どうにか生き延びて帰還できたという戦争体験の持ち主だった。私は昭和22生まれだから、もし父が帰還できなければ、「私」という存在は、今、ここに存在していないわけで、今回、子供の頃よく聞かされた父の戦争体験を思い出すとともに、この問題が他人事とは思えなくなってきたのである。つまり、自分の存在の問題としてこの問題を考察していくうちに、次々と疑惑が湧き上がって来たのだ。
たとえば、大江氏が、赤松氏を「罪の巨塊(巨魁?)」と呼び、批判・冒涜したというのが、「沖縄集団自決裁判」の根拠のようだが、大江氏が『沖縄ノート』で赤松氏に言及したのはわずか二、三ページにすぎない。しかも匿名である。また曽野氏は、大江氏の『沖縄ノート』のウソをあばき、論破したというが、これまた大江氏に言及した部分は二、三ページにも満たない。言うまでもなく、赤松氏を名指しで批判し、最初に「軍命令説」を主張したのは『鉄の暴風』でる。であるならば、赤松氏等は、何故、『鉄の暴風』ではなく、大江氏の『沖縄ノート』を告訴したのか。不可解である。そもそも、投降勧告に来た現地住民をスパイと見做し、軍法会議抜きで次々と斬殺したと言われる赤松氏の「戦争犯罪」は自明ではないのか。現地の最高指揮官であった赤松氏を集団自決の責任者として批判し追及することが、何故、名誉毀損になるのか。この裁判には、何か、裏に仕掛けや陰謀があるのではないか。これらの疑惑が、私がこの裁判に深入りすることになった動機である。
いずれにしろ、「軍命令はなかった」と主張する保守論壇の面々の勉強不足と思想的劣化は明らかである。それを象徴するかのように、大江氏や私に「誤読」や「誤字」を、さらには『ある神話の背景』の「歴史記述のいかがわしさ」を指摘された張本人の曽野氏は、大江健三郎出廷直前まで各メディアで、自信満々に大江批判を繰り返していたにもかかわらず、突然、沈黙し、その後、一言も反論していない。雑誌等に多くの連載コラムを持つ曽野氏が反論しないのは不可解である。曽野氏には正々堂々と反論・釈明する義務があるはずだ。また曽野氏は、問題の引用部分で、「罪の巨魂」とか「罪の巨魁」とかいう誤 > 字を放置したまま、現在も発売中の『ある神話の背景』新装版を、速やかに店頭から回収すべきである。



曽野綾子氏の『ある神話の背景』の歴史記述は信用できない。(3)