文藝評論家=山崎行太郎の『 毒蛇山荘日記(1)』

文藝評論家=山崎行太郎の政治ブログ『毒蛇山荘日記1(1) 』です。

■「ライトノベルから純文学へ」のサクセス・ストーリー?

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 今年の三島由紀夫賞(新潮社)に、佐藤友哉の「1000の小説とバックベアード」が選ばれている。佐藤友哉は、2001年、『フリッカー式鏡公彦にうってつけの殺人』で第21回「メフィスト賞」を受賞してデビューとなっていることからもわかるように、元々は、いわゆる「ライトノベル」系の新鋭作家で、やがて文芸誌などでも活躍するようになった作家である。舞城王太郎等に続くライトノベル出身の純文学作家ということになるわけだが、そういうライトノベル系の新鋭作家が、数年前の舞城に続いて三島賞を受賞したということは、ここに現代の新しい日本文学の特質と方向性の一端が現われていることは確かなように見える。だが、それははたして、歓迎すべきことなのか。さて、前回にも書いたように、純文学の不振と衰退とは逆に、ライトノベルは、「オタク」や「アニメ」、あるいは「ゲーム」「萌え」の世代とも言うべき、最近の中高生を中心とした若い世代の圧倒的な支持を得て、想像を絶するような売れ上げを記録しているらしい。たとえばライトノベルの世界では、今、『涼宮ハルヒの憂鬱』に始まる「谷川流」という作家の「涼宮ハルヒ」シリーズが爆発的に売れているらしい。と、言っても、「ライトノベルなんて、未熟な青少年向けの大衆娯楽小説だろう…」と考えている人も少なくないだろう。だがそう速断するのもいささか早計のように思われる。ライトノベルの台頭にもそれなりの理由があるからだ。つまりライトノベルの台頭は、文化的・科学技術的な現代社会のポストモダン的構造変化を体現したものであって、決して一時の流行現象ではない、という東浩紀大塚英志の議論にもそれなりの説得力はある。たとえば、東浩紀は、本・雑誌・新聞のような一方通行の「コンテンツ・メディア」の時代からゲーム、ネット、ブログに象徴される双方向性の「コミュニケーション・メディア」への情報空間の構造変化と、ライトノベルの台頭を対応させて論じている。つまり、ライトノベル的なリアリズムは、現実を描写することを重視する「自然主義的リアリズム」に対して、「ゲーム的リアリズム」とでも呼ぶべきものであって、パソコン、ゲーム、アニメ、マンガの登場などに象徴されるような情報環境の構造変化に対応しているというのである。とすれば、ライトノベル的なものは、近代社会の産物たる「純文学的なもの」、あるいは「文学的なもの」に取って代わる可能性を秘めているということだ。かつて、近代文学が、明治維新という日本社会の構造変化を経て、江戸文学に取って代ったように。つまりライトノベルは、「売れ行き」だけが問題なのではなく、一種の文学革命の可能性を秘めているということでもある。それに対して純文学や文壇、文芸誌が危機感を感じ、それを内部に取り込もうとするのも当然だろう。要するにライトノベルの人気とパワーを、伝統的な純文学や文壇へ取り込もうとする企みが、舞城や佐藤の「三島賞」劇の背景にある企みである。私が、舞城や佐藤の三島賞に冷淡である理由はそこにある。舞城や佐藤は、純文学の世界に身売りしたピエロに過ぎない。ライトノベルとは近代文学的な個人(作家)が作り出すものではなく、現代の双方向的な情報環境が作り出すものである。ライトノベル系の個人・作家を何人取り込んでも、ライトノべル的なものを取り込んだことにはならないはずなのだ。
佐藤友哉の「文学批判」は陳腐そのもの・・・。
しかし、それにしても、舞城王太郎佐藤友哉三島賞受賞は、あまりにも安易過ぎる。舞城や佐藤自身がどう考えているのかわからないが、私は、彼等にとってもそれは必ずしも歓迎すべきものとは思われない。もし、ライトノベル文学革命的な可能性を秘めているとすれば、舞城や佐藤の役割は「反革命」的ということになるだろう。もしそうでないとすれば、多くの大人たちが漠然と想像しているように、「ライトノベルなんて、未熟な青少年向けの大衆娯楽小説だろう」、「そこの人気者を文壇や文芸誌に取りこみ、純文学の人気回復に利用しているだけだろう」ということになる。私は、残念ながら、舞城や佐藤の役割は、そんなものだろうと思っている。彼等に新しい日本文学の可能性を期待するつもりはさらさらないし、またそんな役割は彼らには無理だろう。彼等は、文壇や文芸誌に拾われ、そこで文壇主催の文学賞を受賞しそれなりの社会的評価を受け、そして結果的には文壇社会の底辺部の群小作家の一員に組みこまれていくというだけの存在に過ぎない。だから、そのことに無自覚な佐藤友哉の受賞作や受賞の言葉にある「文学批判」的言説も、ただ「ムナシイ」だけで、いわゆる役割としての「純文学批判」を、喜劇的に反復させられているだけの、単なる「負け犬の遠吠え」にしか聞こえない。佐藤友哉は、「受賞の言葉」にこんなことを書いている。≪『名誉ある賞をいただけて感謝の極致。今後も骨身を削り、只々、文学に精進する所存なり』という言葉が、単なるギャグになってしまう2007年に、文学賞を受賞したのは逆境に等しい。文学にせよ、新本格ミステリにせよ、今はもうないのだから。数年後、数十年後、この文章を読んだ僕が、「そんなことはどうでも良くなってるんだよ」と、過去の僕に教えてあげたくなるような風景のために書きつづけます。≫(「新潮」七月号) 佐藤友哉のこの発言こそ、私から見れば、これぞ、まさしく現代の陳腐を絵に描いたような陳腐なセリフというしかない。要するに、佐藤友哉は、ライトノベルを捨てて、純文学や文壇、あるいは文芸誌に身を売った時点で、すでに純文学という制度に屈服し、敗北しているのである。「『名誉ある賞をいただけて感謝の極致。今後も骨身を削り、只々、文学に精進する所存なり』という言葉が、単なるギャグになってしまう2007年・・・」という言い方がすでにズレているのであり、この作家の遅れて来た無知無能ぶりを曝け出している。この手の「文学批判」は、10年まえどころか、20年前、30年前にもすでに陳腐だったのだ。今さら、文学批判なんて・・・(笑)。純文学という制度は、純文学批判を内部に回収しつつ延命する制度であり装置である。もし佐藤友哉の文学批判が生きるとすれば、それはライトノベルという双方向的な情報空間、あるいは流通システムにおいてだけである。福田和也高橋源一郎は、佐藤友哉の「過激な」(笑)作品や発言を、純文学に新風を吹き込むもののように好意的にとらえているようだが、私はそれは違うだろうと言いたい。福田や高橋には、「ライトノベルのいかがわしさ」の根拠は個人・作家にはなく、ライトノベルを生み出したゲーム的情報環境や流通環境にある、ということが分かっていない。「ここにあるゲーム感覚に満ちた、軽々とした批評精神によるライトノベル的戯作は、自然主義的リアリズムを金科玉条とする今までの文学者にはなし得なかったことである。」と絶賛する筒井康隆も、まったくわかっていない。
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■演劇一筋の野田秀樹と物語一筋の村上春樹

 話は変わるが、たとえば、今月の「新潮」の巻頭を飾っているのは、野田秀樹(+コリン・ティーバン)の「THE BEE」という戯曲である。脱獄囚に妻子を人質にとられた善良なサラリーマンが、警察やマスコミが要求する「善良な被害者」という役割に納得できずに、逆に脱獄囚の妻子を人質にして立て篭もり、次々と反撃に出るという話である。私は、今月の作品の中で、この作品が一番面白く、衝撃的であった。「原作・筒井康隆」とあるから、元々は筒井康隆の小説なのだろうが、しかしそれにしても、それを一編の戯曲に仕立て上げ、ロンドンや東京などで公演するという野田秀樹の文学的・芸術的野心と実行力には感動する。つまり芥川賞直木賞などという文学的な権威や制度に依存せずに、演劇一筋に生き続ける野田秀樹に感動するということだ。 たとえば、私は、野田秀樹を、唐十郎やつか・こうへいと比較してみたくなる。唐十郎やつか・こうへいは、私が若い頃、まさに「飛ぶ鳥を落とす」勢いの劇作家だったが、彼等はやがて小説を書き始め、そして芥川賞直木賞を受賞して「一丁あがり」となった。そしてその結果、どうなっていったかは、今更ここに書くまでも無いだろう。舞城王太郎佐藤友哉の将来を暗示している。 ところで、村上春樹のデビュー作『風の歌を聴け』であり、第二作が『1973年のピンボール』であることは村上春樹フアンならずともよく知っていることだろう。そしてこの二作品が、村上春樹の代表的な小説であり、いわゆるポスト・モダンの時代を代表する「脱構築」的小説であることもよく知られている。ところが不思議なことに、外国ではこの二作品が翻訳されておらず、しかもその存在すら知られていないと言う。むろん、私も、都甲幸治が「村上春樹の知られざる顔」(「文学界」七月号)を読むまで、その事実をまったく知らなかった。それにしても不思議な話である。 なぜ、こういう変則的な事態が起きているのか。実は、この二作品の翻訳を禁じているのは村上春樹自身らしい、と都甲幸治は書いている。ここには、むろん、村上春樹らしい用意周到な計算と戦略がある。村上春樹は初期二作品について、外国でのインタビューで、こう話しているらしい。≪日本の外では、最初の二冊は出版されていません。僕がそうしたくないんです。未熟な作品だと考えていますーーとても小さな本です。ちゃちな作品、とでも言えばいいのかな≫≪最初の二冊で僕がしようとしたのは、伝統的な日本の小説を脱構築することです。脱構築とはつまり、中身を全部抜き出して、骨組みだけを残すという意味ですね。そして何か新鮮なもので独創的なものでその骨組みを満たす必要がありました。三作書いてはじめて僕は、うまいやり方を見つけたんです。一九八二年の『羊をめぐる冒険』ですね。≫たしかに村上春樹の言うように、『羊をめぐめる冒険』以後の村上春樹の小説は、ポストモダン的な脱構築というより一種の物語であって、「ノモンハン事件」や「地下鉄サリン事件」のような大きな問題をテーマにした「大きな物語」である。日本国内の鋭敏な批評家たちが酷評する理由であるが、逆に、外国では、その「大きな物語」が受けているということだ。とすれば、村上春樹が、『風の歌を聴け』と『1973年のピンボール』の翻訳を禁じ、隠蔽し、抑圧する理由がわかる。むろん、この村上の文学的戦略をただ批判すればいいというものではないだろう。ここには、ポストモダン以後の文学や小説の可能性が暗示されてもいるからだ。それは、どこかで、ライトノベル的なものにもつながっているようにも思われる。文学批判から文学の再構築へ・・・。