文藝評論家=山崎行太郎の『 毒蛇山荘日記(1)』

文藝評論家=山崎行太郎の政治ブログ『毒蛇山荘日記1(1) 』です。

宮内勝典さんに会った…。

宮内さんのホームページ「海亀通信」・・・http://pws.prserv.net/umigame/


「あこがれの先輩」と言っても異性ではない。れっきとした男性だ。鹿児島の高校時代の二年先輩で、作家の宮内勝典さんである。その宮内さんに、一昨夜、日大芸術学部の講師懇談会なる席で、何年ぶりかで会った。宮内さんは、以前は早稲田大学文学部の客員教授を何年かやっていた。早稲田の方は数年の契約だったらしく、お役ごめんということで、もう辞めたと聞いていたが、昨年から、日大学芸術学部の講師もするようになった。是非会いたいものだと思っていたが、出講の日が違うのでなかなか会う機会がなかった。昨年の懇談会には、宮内さんは出席したらしいが、たまたま僕が田舎の方に行っていた為に出席できなかったので、会えなかった。というわけで、今年は宮内さんに会うのを楽しみに、池袋メトロポリタン・ホテルの懇談会に出席した。宮内さんも、黒っぽい詰襟の不思議な服を着て、少し遅れてやってきた。僕は、すぐに気がついたが、入り口がごった返しているので宮内さんは気がつかないようだ。挨拶をしそびれていると、今年、専任講師になったばかりの山下聖美さんの司会で会が始まり、すぐに山本学科長の話が始まった。さて、僕は、山奥の田舎の中学から鹿児島市内の高校に越境入学したので、高校時代、ほとんど友達もなく、当然話し相手もなく、まったく孤独だった。同じ中学から進学した同級生がもう一人いたのだが、向こうも社交性のない無口な男だったので、ほとんど口を利く事もなかった。その頃から、突然、僕は文学に目覚めた。砂漠に水が浸み込むように、僕の孤独な心に文学というものが浸み込んできた。僕は、それまで本を読むという習慣を持っていなかった。しかし、突然、本の虫になった。次第に深入りし、受験勉強そっちのけで、大江健三郎を読み、ドストエフスキーを読み、ニーチェを読み、サルトルを読むようになった。その結果、国語以外の僕の成績は惨憺たるものになったが、それが僕の高校生時代だった。一時は、そのことを後悔したこともあったが、今ではむしろそれが良かったのだと思うようになっている。あの頃の読書体験が、今の僕の人生に直結しているからだ。僕が自信を持っているものがあるとすれば、それは、あの頃夢中で読みふけり、理解出来たかどうかに関係なく、深く感動し、そしてその後の人生の進路を決定した「濫読体験」である。僕は、大学や大学院で学んだことにはそれほど自信はないが、高校時代のあの頃の濫読体験で身に着けた文学や思想に関しては、その広さも深さも、かなり自信があるのだ。「ユーレカ」「我、発見セリ」である。小林秀雄的に言えば、「見える人には見えるだろう」というわけだ。ところで、宮内さんのことだが、僕がまだ文学や思想に目覚める前に、つまり高校一年の時に、宮内勝典という不思議な高校生に出会ったのだ。出会ったと言っても、口をきいたこともなければ、名前すら知らず、ただ遠くから呆然と眺めていただけであったが。宮内さんも、その頃、孤独な高校生生活を送っていたらしい。宮内さんは、昼食時間になると、僕のクラスの前の廊下を、長髪のバンカラ・スタイルで、しかも周りをまったく無視したすごい形相で、同じフロアーにあった美術教室の方へ通り過ぎていくのが日課だった。僕は、その薄汚い格好の不思議な青年を、羨望と嫉妬と軽蔑等の入り混じった複雑な気分で眺めていた。ところで、二、三十年後に、同級生にその話をしてみたが誰も知らなかった。それは結局、僕だけが知っている話なのだった。その後、高校を卒業してから数年後、高校の先輩が、「南風」という作品で「文藝賞」を受賞して、作家としてデビューしたらしいという話を聞いた。僕は、すぐに、「あの人だ!!!」と思った。むろん、宮内さんのことである。僕は、その後、自分も、文学の世界で、少しだけ名前が知られるようになり、同業者たちが集まる場所に出られるようになったので、たまたま文壇関係のパーティで宮内さんに出会った時、高校時代の話をして、「あのこと」を確認してみたのだった。「あれは宮内さんでしょう?」と。僕の予想通り、あれは、やはり宮内さんだった。それから、宮内さんの口癖は、「不思議だねー、あんな田舎の高校から、二人も文学者が出るなんて…」となった。実は、一昨夜も、宮内さんは、同じ事を言った。「不思議だねー、あんな田舎の高校から、二人も文学者が出るなんて…」。宮内さんは、中学時代は県下の学力模試でも何番かに入るような秀才だったらしいが、その後、大学には進学せず、世界を放浪した末に作家になったらしいのだ。僕は、同じように文学者のはしくれではあるが、宮内さんに比べれば、大相撲の横綱と、横綱に抱き上げられた赤ん坊ほどの開きがある。しかし、宮内さんに、そう言ってもらえることは、やはり嬉しい。それこそ、「生きてて良かった」と思う瞬間だ。実は、宮内さんという作家は、批評家としての僕の眼から見ても、超一流の作家や批評家しか眼中にないような、文学的にも思想的にも厳しい人であり、ある意味では容易に近づくことも出来ないような、妥協のない怖い人である。同窓生だからとか、同郷だからとか言って気を許してくれるような人ではない。しかし、その宮内さんが、僕に対しては、突然、笑顔になり、優しく話しかけてくれるのだ。「元気?」「頑張ってる?」と。それは、僕にとっては至福の瞬間なのである。昨夜も、宮内さんが福島泰樹さん等と話しているので、ちょっと遠慮していたら、宮内さんの方から近づいてきて、話しかけてくれたのだ。「元気?」「頑張ってる?」と。そして一昨夜は、「あなたのメルマガ、申し込んだからね…」と、オマケがついていた。僕のブログやメルマガも、ちゃんと読んでいてくれるらしいのだ。ちなみに宮内さんは「海亀通信」http://pws.prserv.net/umigame/というホームページを早くから開設しており、そこを中心に典型的な左翼として、あるいは反戦平和主義者として活動している。政治思想的には、僕とはまったく対極にある人なのだ。しかし宮内さんは、政治的党派性の違いなどまったく問題にしていない。政治的イデオロギーよりももっと深いものを見つめているのだ。それは僕も同じだ。イデオロギーではなく存在論が問題なのだ。繰り返すが、僕は高校時代、孤独だった。その代わり本ばかり読んでいた。本だけが友達だった。しかし、そうだったからこそ、宮内さんのような人に出会えたのかもしれない。


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