文藝評論家=山崎行太郎の『 毒蛇山荘日記(1)』

文藝評論家=山崎行太郎の政治ブログ『毒蛇山荘日記1(1) 』です。

塩野七生という「自称・作家」の小泉賛歌を嗤う。

塩野七生というイタリア史が専攻の物書きがいる。ローマ時代の歴史や人物論を中心に多くの書物を刊行している。一部には熱狂的なフアンもいるらしいが僕は嫌いである。だからその著書は二、三の雑文以外はほとんど読んでいない。その大雑把すぎる英雄史観を僕の生理が受け付けないのである。おまけにこの人はテレビに良く出てきて、日本人を見下したような偉そうな語り口で大言壮語する癖がある。何回かテレビ画面で見たことがあるが、たとえばその一つは新進気鋭の作家・平野啓一郎との対談であったが、顔を背けたくなる様な傲慢な態度と横柄な物言いをする人だった。いずれにしろ、「イタリア史を通俗的なメロドラマにして売り出している三文文士…」というのが僕の塩野七生論のすべてである。その塩野七生「文藝春秋」にコラム(「日本人よ」)を連載しているようだが、今月号では、小泉論を開陳し、小泉を絶賛すると同時に返す刀で、小泉批判を展開する文化人や知識人を罵倒している。塩野七生という物書きがどういう思想信条を持つ人物かはこれでわかるだろう。イタリアという海外に住み、そこから日本人を見下したように論評する傲岸不遜な態度とは裏腹に、時の権力や支配者に迎合し、ゴマスリをすることにはヌカリがない人物ということだ。それにしても塩野は、「作家」らしいが、作家と言う肩書きも落ちたものである。猪瀬直樹から、池宮彰一郎、大下某、そして最近では産経新聞が持ち上げる「信長の柩」の作家まで。なぜ、小泉シンパは、いかがわしい「自称・作家」ばかりなのだろう。小泉政治通俗的、つまり大衆小説的な本質が透けて見えるようだ。さて、塩野が一つだけ面白いことを言っている。それは、一年後の「小泉勇退」を危惧して、続投を勧めているということだ。「男の美学」などというつまらない「虚栄心」を満足させるために早々に「引退宣言」をするのは危険であり、それは敵陣営を生き返らせるような愚かな選択だというわけだろう。おそらく塩野の指摘はあたっている。しかし小泉は、大見得を切ってしまった以上、一年後に退陣し、誰かに後継を託さざるをえないだろう。続投したくても続投できない自縄自縛に陥っているのだ。後継者が誰であろうと、小泉が退陣すれば小泉路線はアッというまに雲散霧消するだろう。それを恐れて続投すれば…。つまり小泉にとっては引退も続投も地獄なのである。小泉独裁なんて幻想そのものだ。孤立無援の「裸の王様」…、それが小泉だろう。まともな作家なら、それぐらいはすぐにわかるだろう。塩野七生のような三文文士には無理だろうが・・・(笑)。