文藝評論家=山崎行太郎の『 毒蛇山荘日記(1)』

文藝評論家=山崎行太郎の政治ブログ『毒蛇山荘日記1(1) 』です。

「新党・日本」の党首・田中康夫に期待する。

 田中康夫の「新党・日本」が長谷川氏の移籍で本格的な政党に脱皮すると同時に、大手マイメディア系の政治記者たちが一斉に、「政治理念なき数合わせ…」と批判し始めたが、とんでもない言いがかりと言うしかない。ヤクサ以下の下品な恫喝とアメダマ作戦による小泉政治の「数合わせ」を批判できない「ご用記者」たちに、新党立ち上げにおける「数合わせ」を批判する資格はない。つい昨日までは、「新党・日本」に関して新党とは言え政党の態をなしていないと、なかば嘲り気味に傍観していたはずである。ところが政党の形を整えるとあわてて「政治理念なき数合わせ」などと、バカノの一つ覚えのようなセリフで批判する。もっと気のきいたセリフでも考え出してから批判してもらいたいね。ともあれ、田中康夫が新党党首として中央政界に登場してきた意味は大きい。石原慎太郎と違って、田中康夫には決断力がある。女々しそうな言動を繰り返しているが、意外に骨太い。これで石原内閣ではなく、田中内閣も夢ではなくなって来た。長野県知事としての評判がどうのこうのと言って揚げ足をとっている連中こそ人間のクズである。なんなら、自分でやつてみろよ。いずれにしろ、おそらく、この総選挙の党首討論では、小泉や神崎や岡田を一蹴するはずである。専門の経済と経済学の分野で落第しているくせに、素人を相手にすると、口から出任せのおしゃべり男に返信する竹中平蔵など問題外である。田中康夫の政治的な手腕はともかくとして、その頭脳と情報量と思想性は、そんじょそこらの政治家や官僚やジャーナリスト、エコノミストなどとは次元が違う。つまり、僕がかねがね言っているように、最近の政治家やジャーナリストやエコノミストには、「文学的教養」や「哲学的教養」が欠如しているが、逆にそれが田中康夫には十二分に備わっているからだ。田中康夫なら、共産党新左翼過激派との政治論争(爆笑)…にも負けないだろう。むろん、小泉の「靖国参拝拒否問題」も追究できないまま、小泉マンセーを繰り返している「ヘタレ新保守」など、問題外。




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