文藝評論家=山崎行太郎の『 毒蛇山荘日記(1)』

文藝評論家=山崎行太郎の政治ブログ『毒蛇山荘日記1(1) 』です。

スポーツ選手が過剰に優遇された時代の終焉…(???)。

若貴問題」の異常な過熱報道が一向におさまりそうもない。ワイドショーや週刊誌などでは依然として目玉商品として扱われている。むろん熱狂が続くのは読者の需要があるからだろう。こんなくだらない問題に、日本のマスコミはいつまでこだわりつづけるのか。もっと大事な問題が山積しているではないか、という良識的なご意見もあるようだが、僕は必ずしもそうは思わない。問題は、どこにでもあるような兄弟の遺産相続などという次元の話に矮小化出来るような瑣末な問題ではないのではないか…。ここには、何か深い問題が隠蔽されていると僕は思う。大衆の無意識と言うものは敏感なものだ。大衆の熱狂をナメてはいけないのだ。さて、話は変わるが、戦後日本のスポーツヒーローを象徴する存在である「長嶋茂雄」が、脳梗塞で倒れて以来久しぶりに公衆の前に登場して話題になっている。一見、オメデタイ話だが、僕はここにも「若貴問題」と類似した病根が隠されているように思う。かつて僕もまた「長嶋茂雄」の大フアンの一人だった。「立教大学長嶋茂雄」を見て以来である。しかし、徳光某とかいうような「長嶋狂い」の存在を知って以来、すっかりネツが醒めて、今は「長嶋嫌い」「巨人嫌い」の一人である。長嶋フアンにはたまらないのかもしれないが、たかが野球選手が、「天皇…」気取りでマスコミに登場して高いところから手を振る姿…を見せられて僕は愕然とする。本人も周辺もその馬鹿さ加減を疑わないという風景は喜劇である。何か勘違いしているんじゃないの、というのが僕の意見だ。さて、再び話は飛ぶ。野茂が大リーグで驚異的な活躍をして以来、日本のスポーツマスコミは、まるで「おのぼり」さんのように大リーグ報道に血道を上げている。イチローやマツイがテレビや新聞に登場しない日はない。僕に言わせれば、これもまた異常である。そもそもイチローやマツイは、大リーグでどんなに活躍しようと、どんな大記録を残そうと、スポーツヒーローとしては三流である。マスコミが騒ぐ割りには日本国民の大多数はシラケているのである。彼等には、気の毒だが哀れな末路が待っているはずである。野茂の最近の哀れな姿がそれを暗示しているではないか。終戦直後ならまだしも、日本がアメリカとならぶ経済大国、文化大国となった今、アメリカで活躍すれば「天下を取った…」かのように錯覚するところに、喜劇の根はある。いずれにしろ、スポーツヒーローが過剰にもてはやされた時代は終った、のではないか。それは単にスポーツ選手の私生活の問題ではなく、最近の日本の思想状況、政治状況、国際状況の変化に対応している現実ではなかろうか。私見に拠れば、「スポーツヒーローが過剰にもてはやされた時代」とは、戦後の反戦平和主義の時代に起きた病理現象である。政治や軍事、学力、あるいは平凡な「立身出世」がタブーになり、その代理現象としてもてはやされたのがスポーツヒーローだった。しかしそういう病的な時代が終ろうとしている。「若貴問題」や「長嶋問題」が象徴するのは、かつて過剰にもてはやされていた「スポーツヒーロー」の仮面が剥がされ、彼等のブザマな本質が暴露されようとしているという現実ではないのか。イチローやマツイという問題こそくだらない問題である。ついでに付け加えれば、ゴルフの「藍ちゃん」も、卓球の「愛ちゃん」も、あるいは柔道の「ヤワラちゃん」も何か勘違いしている。時代を読み損ねているのだ。テレビ画面や週刊誌に頻繁に登場する彼女らの満面の笑顔こそ、「喜劇」そのものだろう。もう君たちの時代は終ったのだよ。本人やその周辺には理解できないかもしれないが、大衆はそれを敏感に感受しているはずである。




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