文藝評論家=山崎行太郎の『 毒蛇山荘日記(1)』

文藝評論家=山崎行太郎の政治ブログ『毒蛇山荘日記1(1) 』です。

傭兵とは何か。

作家の宮内勝典さんの「海亀日記」http://pws.prserv.net/umigame/を読んでいて、こういう1節にぶつかった。日給30万、月給900万、年収1億800万円。3年間生き延びることができれば、3億2400万円。おそらく私たち一般人の生涯賃金を超える金額…。これが、イラクで捕まった日本人傭兵の給料らしい。これが高いのか安いのか、僕は知らない。いずれにしろ巨大な金額だ。この金額について宮内勝典さんは、こう書いている。

 3億2400万円欲しさに、おまえは傭兵になれるか? むろん、答えはノーだ。強者の側について、高性能の武器で弱者を殺しまくって金をかせぐことはできない。その程度の金のために身を売ることはできない。だが愛する者や、信じるものにすべて裏切られて世を拗(す)ねているとき、憎悪や怨みに凝り固まっているとき、もしもそのような条件を提示されて誘われたならば、自殺するかわりにロシアン・ルーレットの引き金をひくように傭兵になってしまうことはあり得るかもしれない。その可能性は否定できない。そして戦闘の魔力にひきずり込まれていくかもしれない。骨の髄まで、血の匂いが染みついていくかもしれない。私自身、先住民の独立闘争に関わり、旧式の機関銃を抱えながら熱帯雨林の戦場をさまよっていたから、決してわからないではない。もちろん、傭兵とは逆の側にいたのだが。

人が傭兵になるにはそれなりの理由があるだろう。家族や国家や世界への絶望や別れがあるかもしれない。あるいは戦争や戦うことそのものへの情熱や関心。我闘う、故に我在り…というわけか。彼は自衛隊習志野空挺団出身の戦争のプロだった。彼や彼の家族に、戦後民主主義的な国家への甘えはない。これが、日本人として誇れることなのかどうかも僕にはわからない。そして宮内さんの日記に引用されている次の詩をなつかしく読んだ。以前、何かの本で読んだことのある詩だ。

 敵を恐れることはない……敵はせいぜいきみを殺すだけだ。
 友を恐れることはない……友はせいぜいきみを裏切るだけだ。
 無関心な人びとを恐れよ……かれらは殺しも裏切りもしない。
 だが、無関心な人びとの沈黙の同意があればこそ、
 地上には裏切りと殺戮が存在するのだ。

                 ロベルト・エベンハルト