文藝評論家=山崎行太郎の『 毒蛇山荘日記(1)』

文藝評論家=山崎行太郎の政治ブログ『毒蛇山荘日記1(1) 』です。

作家の宮内勝典さんから葉書(年賀状)が届く。

 昨日、宮内勝典さんからの年賀状が届いた。そこに、僕のHPを時々覗いています、とあった。一昨日も見ましたよ、と。うれしい話ではないか。僕が、このHPを「毒蛇通信」としたのは、宮内さんのHP「海亀通信」をヒントにしたものだ。「海亀」と「毒蛇」。毒蛇は作曲家・團伊玖磨の対談集『毒蛇は急がない』から拝借した。さて、「海亀通信」の掲示板には反戦を唱える真面目な人たちが集まっている。僕は、思想的にはまったく反対の立場に立っている。どちらかというと、僕は、アメリカのイラク侵略戦争を擁護する好戦派であり、自衛隊イラク派兵にも賛成である。それをわかっていて、宮内さんは、僕のHPを時々覗いてくれていると言う。僕は、「イデオロギーから存在論へ」という図式で、つまりイデオロギーのレベルにおいてではなく、存在論的レベルで物を考えたいと思っている。宮内さんとも、イデオロギーレベルでは対立しているかもしれないが、存在論的思考のレベルでは必ずしも対立はしていないと確信している。僕が求めているのは「善悪の彼岸」(ニーチェ)の実存的思考である。ところで、宮内さんのエッセイ『善悪の彼岸へ』は、オウム真理教問題を調査・分析したものだが、その表題が示しているように、単なるオウム批判ではない。オウム真理教に魂を奪われた若者たちの深層心理を抉り出そうとしたものである。むしろ、誤解を恐れずに言えば、オウム擁護論と言った方が正確かもしれない。宮内さんは、よく「深く潜る……」というような言い方をする。それが宮内さんの生き方であり、思考のスタイルなのだ。社会的な表層から離れて深海へ。「深く潜る海亀」。素晴らしいイメージである。宮内さんは、早稲田大学の教師生活に三月でピリオドを打ち、ふたたび浪々の作家生活に戻るそうだ。いろいろな意味で大変なことだろうが、安易な道を拒絶して、みずから苦難・苦闘の道を進もうとする宮内さんには、ただ脱帽するほかはない。そこからまた新しい小説が生まれてくるのだろう。僕にはとてもマネの出来ないことだが、その思想心情はよく理解できる。それは、僕がいつも繰り返し言っている「文学精神」でもある。ゼニ・カネ・モノを最高の価値として出版業界を右往左往する小市民的なエセ文学者たちへのアンチ・テーゼである。宮内さんのような作家が存在しているというだけでも、日本の文学はまだまだ捨てたものではない、と思う。

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1947年生まれ。慶応義塾大学文学部哲学科卒。慶應義塾大学大学院修了。東京工業大学講師を経て、現在、埼玉大学講師。朝日カルチャー・センター(小説教室)講師。民間シンクタンク『平河サロン』常任幹事。哲学者。作家。文藝評論家。
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