文藝評論家=山崎行太郎の『 毒蛇山荘日記(1)』

文藝評論家=山崎行太郎の政治ブログ『毒蛇山荘日記1(1) 』です。

柄谷行人の「互酬交換論」を読むーーー互酬交換は、何故、国家の成立を妨げるのか? 柄谷行人の『世界史の構造』は、「互酬交換」「略取と再分配」「商品交換」という三つの交換様式という観点から人間の社会構成体の歴史を再構成し、そしてまだ実現してはいないが、やがて遠い将来、あるいは近い将来、実現するかもしれない社会を、「互酬交換社会の回帰(再来)」として構想するものだ。柄谷行人の『世界史の構造』が、マルクスの言う「国家の廃棄」を大きなテーマにしていることは明らかであるが、この国家の廃棄という問題は、ある歴史的段階に


柄谷行人の『世界史の構造』が刊行されたのは2010年6月24日で、すでに2年近くたっている。「伊達直人ブーム」以前であり、「311大震災・原発事故」以前であった。「贈与」と「互酬」を思い起こさせる二つの事件は、柄谷行人のこの本のテーマと無縁ではなかった。純粋贈与とも言うべき「伊達直人ブーム」が起きたのは、「抑圧されたものの回帰」(フロイト)であり、「311大震災・原発事故」直後に世界的に湧き起った「募金、ボランティア」ブームも、「贈与」と「互酬」というものの「抑圧されたものの回帰」に他ならなかった。つまり、この本は、予言的であった。僕は、本質的・原理的な本は、いつも予言的であると考えている。そこで、僕は、仲間たちとともに、この『世界史の構造』を読み続けている。おそらく、今、真面目にこの本と向き合っている人はそんなに多くはないと思われるが、それだからこそ、僕はこの『世界史の構造』という本を読み続ける。僕が、この本を読み続けるのは「思考力を鍛える」ためである。つまり、柄谷行人の本質的・原理的思考を模倣・反復し、自分の中の本質的・原理的思考を鍛えるためである。多くの読者は、この本を読んだかもしれないが、しかしその読み方は、この本の内容(要約)を知ればそれで終わりとする読み方だろう。僕が試みたいと思う読み方はそういう読み方ではない。むろん、本の内容(要約)を知ることも大事だが、それだけでは本を読んだことにはならない。小林秀雄は、骨董について、「骨董は買うものだ」「骨董は買って自分のものにするものだ」「美術館や博物館で遠くから作品を眺めるような鑑賞とは違う」・・・というようなことを言っているが、本の読み方にも、これが言えるように思われる。つまり、書かれている内容を理論的に整理し、それを概念として理解したとしても、それでは十分に本を読んだことにはならないということだ。むろん、だからといって、書かれている内容を理論的に整理し、それを概念として理解することが不必要だということではない。さて、柄谷行人は、序文の冒頭に、こう書いている。

本書は、交換様式から社会構成体の歴史を見直すことによって、現在の資本=ネーション=国家を越える展望を開こうとする企てである。

「現在の資本=ネーション=国家を越える展望」とは、言うまでもなく、現代の資本主義国家を乗り越えていく展望のことである。言い換えれば、「資本主義社会から共産主義社会へ」というマルクス主義的な歴史的発展図式が無効になった時代に、それに代わる発展図式を模索する試みと言っていい。



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